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エンディングノート普及協会

最期の時の過ごし方「家族に迷惑をかけない」は正解か?

著者:赤川 なおみ

最期の時の過ごし方「家族に迷惑をかけない」は正解か?

家族に迷惑かけたくないんです

この言葉もよく聞くのですが、どういう意味の迷惑なのだろう?と、いつも思ってしまいます。

 

迷惑をかけることは悪いことでしょうか?

迷惑をかけないことが、家族に求められていることなのでしょうか?

 

自分の意思を貫くこと

昨日ご紹介したこちらのブログ

「エンディング・ノートでも終活セミナーでも学べない!〜離島に学ぶ本当に豊かな『終活』」

 

本当の意味での終活という視点では、もう一つ考えさせられる内容が含まれています。

 

ブログの中で紹介されている末期ガンのお父さんとご家族は、医師のいない、何かあってもすぐに医師が駆けつけることが難しい島で、最期まで生活することに決めます。

 

単純に考えたら「無理」ということになるのかもしれないし、家族以外の周囲からも「やめましょう」と言われるかも知れません。

 

この島でも、ここ10年はそのような看取りはなかったと書かれています。

やはり、終末期に入ると「何かあったらすぐに対応できないから」と、病院のある場所に行くことになるのでしょう。

 

確かに病院にいれば、何かの時にはすぐに対応してくれますし、1日中家族が見守ることもないかもしれません。

 

「家族に迷惑をかけたくない」というなら、病院で最期を迎える選択になるのかもしれません。

 

でも・・・

 

病院は治療をするところ

それじゃ、みなさんの希望通り「家族に迷惑をかけないように」と、終末期になったら病院に入るのか?

 

でも、みなさん

延命治療はしたくない

のでしたよね?

 

病院に入るということは、少なからず改善するようになんらかの処置をするということです。

 

ご経験がある方もいらっしゃるかもしれませんが、もう少し入院していたいなぁ・・と思っても

治療は終わりましたので、退院してください

と、あっさり言われます。

 

終末期においても、がん末期であっても

これ以上の治療をしない

と決めれば、病院は「帰って結構です」となるわけです。

 

それでも「家族に迷惑をかけない」と考えて、病院にいるとしたら・・・

何か矛盾していませんか?

本気の”わがまま”は家族のためでもある

島で最期まで生活したいと言ったお父さん。

 

終末期になれば、さまざな体調の変化があります。

病院にいれば、その都度対応してくれるでしょう。

近くに在宅医がいれば、駆けつけてくれるでしょう。

 

急変に対応してくれるから、家族は安心でいられるのかもしれません。

 

でも、島で最期まで生活したいと言ったお父さんを見守る家族は、急変に対応しなければなりません。

 

いつも「大丈夫かな」と、気を揉んでいなくてはいけないかもしれません。

 

そんな状態は

家族に迷惑をかけている

のかもしれません。

 

でも、ブログのご家族はお父さんのわがままを「迷惑」と感じたでしょうか。

 

私の義弟も、終末期を自宅で過ごしました。

その時の様子はこちら。

 

家で迎える最期は迷惑でしょうか

 

義弟もそうでしたが、我が家の義父もどちらかといえば手のかかる人でした。

 

「あと1週間くらいですね」と言われてから1ヶ月半でした。

その間、毎晩病院に泊まりました。

昼間は義母、夜は私。

 

私が泊まれない日は、子どもたちが代わってくれました。

 

でも、義弟の家族も、私も、子どもたちも

迷惑だった

なんて思っていないのです。

 

その時間を共有できたこと、しっかりと家族の時間を過ごせたことで、死を受け入れることができたと思っています。

本気の”わがまま”は、迷惑ではなく、幸せな時間になるのです

だから、その時をどう過ごしたいのか?

しっかりと考え、エンディングノートに書いたら、しっかりと話す時間を持ってください。

 

 

 

 

 

延命治療をしない選択は迷惑をかけないのか?

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