特定非営利活動法人

エンディングノート普及協会

月別アーカイブ 2月 2013

著者:赤川 なおみ

「そのうち書こう」 を克服しませんか?

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人の赤川です。

これまでも色々とご紹介しているエンディングノートですが、最近では「終活セミナー」などで販売されたり、本屋さんで販売されたりしています。

ほとんどのみなさんはそれらのノートを手に取り、自分に合いそうなものに記入していかれると思うのです。

しかし、エンディングノートを買う人は、1冊ではなく何冊か買っているというデータがあります。
そして何冊か買ったにも関らず「書いていない」方が多いと言うのです!

書けない・書かないのはなぜでしょう?

よく聞く理由 その1
今すぐに必要!明日必要!というものではないので「落ち着いて書こう」「そのうち書こう」と思っていると、そのままになってしまう。

確かに元気なときに向き合うと良い、書き始めると良いと言われても、なかなか忙しくて時間が取れません。ましてや「期限のないもの」はなかなか優先的にはできないもの。

夏休みの宿題がお盆を過ぎて大慌て!
年末の大掃除が一番忙しい大晦日に持ち越される!
私もそのタイプです

結婚式のように「○月○日に行います」と大勢の方に連絡をしていても、間近になってバタバタと準備をすることも多いのに、いつくるのかわからない人生の終末に向けて書くエンディングノートは進まなくて当然かもしれません。

しっかりと振り返り、色々と整理して書き残したい
そんな思いが強ければ強いほど、時間をかけて書きたいとの思いから手がつかないということもあるのでしょう。

そこで私は「まずはグループで書く」ことをオススメしています。
グループ作成の良いところは、同じように書いている人をみると刺激されること。

まずは1ヶ月、自分に必要だと思われる項目だけでも書いてみる。
まずは1ヶ月、みんなでがんばってみる。

まずエンディングノートンの第一歩を仲間と踏み出してみませんか?
グループカウンセリングご希望の方はこちらから

よく聞く理由 その2は次回お伝えします!


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著者:赤川 なおみ

一人っ子のご両親へ

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人の赤川です。

私は一人っ子です。
一人っ子は子どもの頃はつまらない大人になったら大変・・・というのは以前に書かせていただきました。

私は一人っ子でも本家の長男さんと結婚したので、一人に何人もの介護がかかってきます。なので実家の母には「観るのも順番なんだから、元気でいてよ!」なんて冗談を言うくらい。

これはこれで大変なんですよ。子育ても次々、介護も次々。自分の時間は何処へ?という感じですから。

しかし、一人でずっとご両親の介護をされている場合。その場合も本当に大変です。

兄弟姉妹がいないと代わりに観てくれる、やってくれる人がいないので体力面でも大変ですが、きっと精神面は想像以上だと思うのです。

介護をしているときって、親の日々の変化や先生の説明、看護師さんの一言が気になります。できること、できないことに一喜一憂したり、決断を迫られて悩むケースも多い。

それでも一人っ子は一人で判断しなくちゃいけないんですよね。

いくら友人に相談できても、それは相談でしかなく「決断下す」という一番大変な部分は本人にしかできない。

私も同じ一人っ子として、助け合える部分、支えあえる部分をみつけていきたいなと思っています。

それと同時に一人の母としてお願いです!

一人っ子のお父さん、お母さん。
お子さんがこれから進む道はなかなか険しいものです。突然の出来事に対応するのはもっと大変。

できる限り、大切なお子さんが悩み苦しまないように、エンディングノートなどに書き残してあげてくださいね。


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著者:赤川 なおみ

これ、重要!

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人の赤川です。

エンディングノートは遺言書よりもゆる~い感じで書けるというのは、常々お伝えしております。

書く様式も、用紙も、保存についても特別決まったものはなく、自分で気に入ったものがあればそれを使うことができます。

ただ、書いたもの誰に見て欲しいのか?

ここはしっかりと決めておく必要があると思うのです。
遺言書のように「何をどうする」といった内容ばかりではないのがエンディングノート。

自分の気持ちや、大切にしていた物の思い出、それにまつわるエピソード。
自分が過ごした子どもの頃の思い出。

そのような「その人の人となり」を書けるというのがエンディングノートの良さでもあります。

ということは誰に読んで欲しいのか?誰に伝えたいのか?
エンディングノートを開いて喜んでくれる人は誰なのか・・・

私は「あなたと大切な人をつなぐもの」だと思っているので、書くときもその人を思い浮かべながら書くと良いのではないかな?と思っています。

ということは・・・
もしかしたらエンディングノートは1冊だけではないかもしれませんね。

大切なお子さんが2人いるとして、伝えたいことが違ったら、お一人ずつに渡すエンディングノートを書くという方法もあります。

お子さんが「自分の母子手帳」を発見してなんだか嬉しくなるのと同じように、自分にあてたエンディングノートの存在を知ったら、とても喜ぶんじゃないかな~♪


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著者:赤川 なおみ

決まってなくても書けるんです!

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人の赤川です。

私は実家も父が本家の長男で私はその一人娘
まぁ嫁いでしまったので、父で途切れるのですが・・

ここで問題なのは、実家のお墓!
父と母でお墓に入る人は終わる。
そして墓守をするのは・・・だれ???

実家もお墓のある土地には住んでいないので、年に1~2回私と夫がお墓の掃除に行っています。しかし、私がいけなくなった場合、息子や娘たちに墓守を頼めるのか?

「頼める」というより「頼む選択を私がするかどうか」だと思うのです。
嫁ぎ先のお墓の近くならまだしも、県外ですからねぇ・・

それじゃお墓を近くに移動するのか?
こうなると手続きにかかる書類から墓地の購入、移動にかかわる様々な神事・・・ざっと計算しても100万以上になりますよね。

他には永代供養。
これも一体が60万~とかになっています。

どちらにしてもお金のかかることですし、どの選択がご先祖や両親、そして私たちにとってベストなのか。

まだ両親が元気ですから、話し合えるのはありがたいことですが、今度は両親、特に父にしてみれば代々続いたお墓のこと。簡単に今の事情やこれからの事情だからと割り切って考えるのは難しいのです。

私のエンディングノートは、お墓についての項目だけでも検討事項がたくさん!

しかし、検討事項がたくさんだからといって「書かない」のではなく「書ける部分」をまず書いています。

もしも私に何かあったとき、息子たちは私の実家の宗派やら菩提寺やら何も知りません。それどころかはっきりと場所もわからないでしょうしね。

ノートをみれば、場所やその他の基本的なことがわかり、連絡先、相談先を記しておけばとりあえずは前に進みます。

このように、エンディングノートに書く全てのことが決定事項であるとは限らないのです。
今の現状を書いて、決まっていない項目は相談場所や相手を明記しておく

これでいいのです!


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著者:赤川 なおみ

「何をしたい」「どうしてほしい」

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人の赤川です。

前にも思ったことがありました。
「介護をする人」って、次々介護をすることになる場合が多いなって。

私もそうです。
介護とは切っても切れない!ご縁があるようです。

いつも読ませていただいているカッチンさんのブログ
おばあちゃん、認知症の入り口に立ってます

お母さんイトさんに向き合うカッチンさんの日常、お母さんの様子。ブログを読みながら自分に重なる部分では、思わず気持ちが入っちゃいます。

自らお父さんと叔父さんの介護をされている
男性介護者・ひとり介護者を応援するブログ

私も義父の看病で病院に付き添っていた頃、会社帰りの男性が入院中のお父さんやお母さんの世話をしに来られる姿が多いことに少し驚きました。

しかし、独身男性も多い世の中。このように男性だって介護者として生活することも多くなっているのが現実ですよね。

以前「なんでずっと介護が切れない人と、全く介護に関らない人がいるんだろう?」と思ったことがありました。

その時ある友人が「できる人のところに回ってくるようになってるんだよ」と言ったのを聞いて「そうなのか。介護をする人も選ばれた人なのか・・・」なんて思ったのを覚えています。

介護者となって一番悩むのは「どうしてほしいのかな?」ということ。介護を受ける人にとっては「迷惑をかけてはいけない」との思いから、自分の意思を伝えないことが多くなるようですが、できれば「何をしたい」「どうしてほしい」を聞いて接したいんですよね。

今は元気でこのブログを読んで下さっているみなさんも、いつ介護が必要になるかわかりません。

「介護」は高齢になってからのものとも限りません。

もしも介護を必要とした場合、自分は何を大事にしてほしいのか?どんな風にしてほしいのか?少し考えてみませんか?



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著者:赤川 なおみ

「なんとかなる」は「なんとでもなる」

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人の赤川です。

「まぁその時にはなんとかなるもんよ」

もしもの時の話をしているときに良く耳にする言葉です。

しかし「なんとかなる」というのは、本人の「あなた」の意思とは関係なく、なんとかしてくれる人の意思で動かされるということになります。

「延命治療はしたくない!」と日ごろから友人に言っていたAさん。
仕事中に倒れて病院へ。一命はとりとめましたが、病院の医療器具につながれた状態になってしまいました。

「葬儀はできるだけ町内の方やおつきあいのあった方に来てほしい」と行っていたYさん。
ご家族や親族のご意向で家族葬となり、ご友人が参列されることはありませんでした。

「家のお墓には入りたくない!散骨でもして!」といい続けておられたSさん。
Sさんの想いは届かず、嫁ぎ先のお墓に埋葬されました。

この3例はすべて「なんとかなっている」のです。ご本人の意思通りだったかどうかは別にして「なんとかなっている」。

でも、ご本人は納得しているのでしょうか?

このように、日ごろ周りの人に自分の気持ちを伝えていたとしても、もしもの時にはその場を仕切る人たちの気持ちで進んでいきます。

口頭で伝えることは限界があります。
緊急事態には通用しないのです。

まずはエンディングノートに書き出し、誰に何を伝えるのか?を考えて見ましょう。

そして、本当に伝えたい、実行してほしいことは専門家に相談して確実なものに。

ご自身を大切にしている方!ぜひ前向きに考えてみませんか?

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