特定非営利活動法人

エンディングノート普及協会

月別アーカイブ 4月 2017

著者:赤川 なおみ

お金は大切!だけど、最期は人 なのです

エンディングノートや終活に関わる活動をしていると、何度も

やっぱりお金は大切だよなぁ・・・

と思わされます。

 

だから、ライフプランナーやファイナンシャルプランナーと言われる人たちは、そのお金の大切さや蓄え方、活かし方を伝えているのでしょう。

 

確かに、今の日本で生活していく上で、生きていく上では、お金はあるにこしたことはありません。

 

しかし、最後の最期、

自分らしく生きるためには人

なのではないかなぁと思うのです。

お金は自分から動かない

お金は必要です。

どんなサービスを受けるにも、ご飯を食べるにも、お金がかかります。

 

ただ、最期は人ですと言ったわけは

お金は自分から動いて悩みを解決してくれない

からです。

 

一生困らないくらい持っているけれど、自分で動くことができない状態だった場合。

 

あぁ、お金があったわけじゃないけど、入院中の私がそうでした。

 

売店には売っていないもので、でも必要!という物が出ました。・・・

 

これ、困りました。

 

その時、友人に無理を言って買って病室まで届けていただきました。本当に助かった。

 

これはほんの一例ですが、どんなにお金があったとしても、自分ではできない時には、人に頼るしかない。

 

その「頼れる人がいない」という時には、いくらそれができるお金があったとしても「自分でしたいことやしなくてはならないことができない」ということです。

 

お金は、自分で動いて頼める人を連れてきてはくれませんもんね。

お金がなくても生きていけることもある

もう一つ切実に感じていること。

 

それは

助けてほしい!手を貸してほしい!

を言えるかどうか。

 

誰かに伝えることができるか?

伝える人がいるか?

ということ。

 

困窮極まって母娘で亡くなったニュース。

 

老老介護に疲れ、長年連れ添ってきた大切な人に手を上げてしまうニュース。

 

もし「困っている」ということを誰かに伝えることができたら、公的機関の支援を受けるとか、何か方法があったはずなのです。

  • エンディングノートの書き方講座でも、必ず
  • エンディングノートを書いたこと、書いた内容を伝える人はいますか?
  • エンディングノートを渡す人はいますか?

と聞いています。

 

そして、

渡す人がいない方、すぐに相談してください!

と伝えます。

 

いくら完璧なエンディングノートを書いたとしても、誰にも渡さず、誰にも見てもらうことがなければ、役目を全うすることはないのです。

 

お金同様、エンディングノートが一人で渡す相手を見つけてきてはくれません。

 

反対に、手を貸して!と言える勇気と言える相手がいたとしたら、それはお金がない時でも、生きることはできるはずです。

お金もエンディングノートも使い方次第!

昨夜見たドラマ「ボク、運命の人です。」でも、登場する謎の神様は「恋を勝ち取るためにはまずは「お金」が必要だ」と言います。

 

そんな時、会社のボーナスキャンペーンの賞金10万円を手に入れることができた主人公。同時にその日が彼女の誕生日であることも知り「神様が言っていたのはこれだ!」と10万円に喜びます。

 

しかし、その賞金は強制的に同僚をごちそうする流れとなり、手元に残ったのは520円。

しかし、その520円が運命の人である相手の心に響く520円となる・・という内容でした。

 

謎の神様に「あぁなるなら、先に教えておいてくれたらよかったのに」と愚痴る主人公に「教えておいてもあぁはならないから。君の努力があってこその運命だから」と。

 

そう。10万円のプレゼントではなく、残った520円の使い方でした。

 

ちょっと話はそれましたが、お金があるなしだけではなく、最期は人なのでは?ということです。

 

金銭的に悩んでいるなら、その悩みを相談できる人を。

 

お金はあるけど自分のエンディングノートを渡す人がいないと悩んでいる人は、渡せる人を探すための相談ができる人を。

 

最期まで自分らしく生きるために大切で必要なもの。

それは

だと思いませんか?

—–

著者:赤川 なおみ

認知症で困るのは誰?認知症を正しく知ろう

先日、手芸店のレジで見かけたおばあちゃん。

 

たぶん、認知症がゆるやかに進んでいるのだなぁ・・・と、感じた瞬間がありました。

 

きっと、みなさんも見かけているのでは?

認知症でも日常生活を送る

私が感じるのは

認知症=何もできない

というイメージを持っておられる方が多いこと。

 

しかし、実際には、心筋梗塞や脳血栓のように「突然倒れる」というようなものではなく、かなりの段階を経て認知症は進行しています。

 

だから、みなさんがイメージするような認知症の状態に、突然なるわけではありません。

 

どの人にも

あれ?ちょっとおかしい?

でも、気のせいかな?

ということがあり、その回数が増えたり、なんとなく違和感があったり・・・

 

それを、そのまま放置し、どんどん進行して「どうしましょう!」という段階で、

やはりそうか・・・

と、認めざるをえないことが多いのではないかと思います。

 

高齢化が進む日本でも、きっと日常的に「初期の認知症」の方を見かけているはずですし、もしかしたらご自身の親も、旦那さんも、奥さんも、そしてあなた自身にも、そんな兆候があるかもしれません。

 

先日のおばあちゃんも、手芸をされるのでしょうか?材料を買いに来ていらしたようでした。

 

そして、レジでお会計の時に、定員さんから「会員になるとお得ですよ」と声をかけられたようで、会員申し込み用紙に記入しておられました。

 

その時です。

何かに迷い始めました。

 

それは

住所と電話番号

の記入欄を見た時です。

◎◎を忘れたからわからない・・・

どうしよう・・・

と、しばらくブツブツと独り言のようではありますが、まわりにも聞こえる声で何度も同じことを言っています。

 

店員さんは、煮え切らないおばあちゃんにイライラしているのは明らか。

 

おばあちゃんの「会員になったら返品はできますか?」の質問にも、机に貼ってある「返品できません」の紙を無言で指差す状態。

 

そして「やめますか?やめるなら今なんですけど」ととどめをさし、おばあちゃんは諦めたようでした。

 

定員さんのイライラはわからないでもないのですが、もしも「これは?認知症かな?」と気づいていたら、他の対応もできたはずです。

 

少し前にも、スーパーで食材を買い物してレジを済ませ、袋に詰める台までカゴを持ってきたところで、忘れて帰っているのを見かけました。

 

きっと、お財布にお釣りを入れたか何か、一瞬他のことをしたのでしょう。

 

そうすると、買い物をしたことを忘れて帰ってしまった・・・

 

ただそそっかしくて「あ!そうだった!」と、真っ赤になりながら引き返すのとは違うのです。

 

自分が「買い物をした」という行動を全く忘れているから、取りに帰ることはありません。

 

このように、日常生活全てにおいて、認知症を発症したとしても、日常生活がそのまま続いている場合が多いと思われます。

困るか?困らないか?

先ほどの買い物カゴの中身を忘れているのを見た時、「きっと帰ってから困っているだろうに・・・」と、私は思いました。

 

しかし、認知症についていろいろと知る中で

実は、本人は困っていない

ということに気づきました。

 

先ほど書いたように「買い物をした」ということを全て忘れているとしたら「どうしよう、忘れてきてしまった」という発想にはなりませんよね。

 

きっと、次に冷蔵庫を開けた時などに「あれ?ないなぁ。買いに行かなくちゃ」となるはずです。

 

だから

実は、本人は困っていない

のです。

 

私のように、自分の常識の中で考えると

買い物した物を忘れたら困るだろう

と、相手を自分に置き換えて考えて「困るだろう」

なのですが、ご本人にしてみれば

あら?ないからまた買いに行こう

くらいなことかもしれません。

 

要するに

認知症になったら困る!

というのは、

当事者ではなく周りの人

なのではないか?と、認知症を知れば知るほど思います。

 

そして、認知症かな?と気づくのも

本人よりも周りの人

だと思うのです。

認知症を正しく知る

認知症が発症したからと言って、特別な生活を送らなくてはいけないわけではありません。

 

日常生活を送っていますし、明らかに生活に困難をきたしているのでは?と思っても、ご本人は気づいていないということもあります。

 

だからと言って、何もしなくて良いわけではない。

 

車の事故や踏切の事故が起こっているように、やはり危険はつきものです。

認知症でも日常生活に困らない

ためには、世の中が認知症を正しく理解し、

  • 気づいたらどうするのか
  • 声かけは?
  • 行動は?
  • 何をすれば良い?

を、知ること。

 

今は、認知症と診断された方ご自身が、積極的に発信をされています。

 

ぜひ、その方たちの声を聞いてみましょう。

 

実際にサポートしている人の声を聞いてみましょう。

 

本当のサポートとは何か?を考えるなら、

まずは正しく知る

そこから始めませんか?

 

ーぜひ一緒に知って、応援してくださいー

5月13日(土)広島県福山市で開催します!

お申込みはこちらのフォームから!

 

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著者:赤川 なおみ

自立と依存は繋がっている

みなさんは

自立する

という言葉を聞いてどのようなイメージが浮かびますか?

  • なんでも自分でできる
  • 自分で生きることを完結できている状態
  • 人に依存することなく生きていける

そんなイメージでしょうか?

 

子育てしていると、自立するというのは、学校を卒業して就職するとか、家を出て一人で生活するとか、そんなイメージもあります。

 

私も、つい先日までは

自立と依存

は、相反するものだと思っていました。

依存とは?

依存(いそん・いぞん)とは、

他のものによりかかり、それによって成り立つこと

と説明があります。

 

さっきのイメージはこの説明のように「他のものによりかかり」という、誰かに頼っている状態からきているように思います。

 

そして、もう一つ「それによって成り立つ」というところですよね。他の、よりかかったものによって成り立っている。

 

ようするに、自分では立てない、立っていられない状態ということでしょうか。

 

人の成長過程でも「ひとり立ち」できるようになるまでには、手足を使ってのハイハイがあり、物につかまって立つ「つかまり立ち」があり、どこかを持ちながら歩く「伝い歩き」という過程があります。

 

そして年齢を重ねると、逆戻りをしていきますね。

 

一般的には「自立する」「ひとり立ちする」と、自分で生きる糧を得て自分で生きていくというイメージになりますが、果たして自立したら、本当に一人で生きていけるのでしょうか?

自立とは?

では、自立とはなんでしょうか?

自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと

自分の力で物事をやっていくこと。確かにそうかもしれません。

 

もう一つ興味深いのは「支配を受けずに」というところ。

 

こうやって改めて調べるまで「自分以外のものの助けなしで」というイメージはありましたが、「支配を受けずに」というイメージはありませんでした。

 

そうすると、依存している状態は、その寄りかかっている人に支配されている?ということ?

 

支配というと少し意味合いが違ってくるのかもしれませんが・・・

 

確かに依存していると頼れる良さはありますが、助けてもらうには

その人の都合やその人の考えに合せないといけない

と考えると、確かに支配されるという言い方も、納得できるかもしれません。

 

しかし、自立=誰にも頼らず自分の力だけで物事をやっていかなくてはいけない、ということでしょうか?

自立とは広く依存すること

先日、多世代シェアハウス「庚午のおうち」に見学に伺いました。


(写真は庚午のおうちで毎月開催される「庚午カフェ」のランチ)

 

その時に竹中理事長とお会いできたのですが、竹中さんから

自立は広く依存すること

狭く(一人に・1箇所に)依存してはいけない

というお話を伺って、衝撃を受けました。

 

あぁ、そうなんだ。これからの少子高齢化の中で、とても大切なこと!これだわ。

  • 一人に、1箇所に頼るから、お互いにしんどくなる。
  • しんどくなるから、頼るのを我慢してしまう。
  • 我慢も限界に達してどうにもならなくなる。

悪循環とはまさにこのこと。

 

高齢の方には多いですが、最近の子育て世代にも感じています。

少しの迷惑、お互い様

この感覚が持てないのですね。

 

自分の生活で不自由を感じることがあれば、その部分だけお願いする。

 

少しのことだから頑張ってやるのではなく、少しのことだから、頼まれた人も、気軽に「いいよ!」と言える。

 

毎回じゃなく、何回かに1回だから、快く「いいよ!」と言える。

 

そうして、自分も生活に困らず、できることは自分で、できないことはお願いしながら生活するから「自立して」生活できる

 

竹中さんの

広く依存するんですよ

この言葉、私自身にも、私のこれからの活動にとっても「魔法の一言」でした。

 

竹中さんが理事長として活動する特定非営利活動法人もちもちの木には、そんな魔法がたくさん詰まっていますよ!

 

 

 

 

 

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著者:赤川 なおみ

ザ・ノンフィクション 女50歳!輝きたい私 から考える

メールで通知を受けるようにしている「認知症情報」から飛んできたこのテーマ。

 

今日のブログタイトルは、本日、民放で放送される「ザ・ノンフィクション」のタイトルです。

 

はて?認知症の情報なのにこのタイトル?なぜ?と思った方、いらっしゃいますか?

自分の夢と介護と

事前情報によると、50歳の女性が認知症を発症したお母様の介護と、ご自身のやりたいことを両立して生きておられる様子を紹介する内容。

 

こちらの女性は、女性が38歳の時にお母様が認知症を発症され、お父様亡き後はアルバイトをしながらお母様との二人暮らし。

 

そして、ご自身は”アラフォーアイドル”としても、活動されているとのこと。

 

さらっと書けば「あ〜そうなのね」ということですが、介護・アルバイト・アイドル活動を並行するためには、様々な葛藤があると思われます。

自分の人生と自分に関わる人の人生

番組で紹介される女性も、もしかすると「母親の介護」は突然だったかもしれません。

 

そう、自分の人生であっても、自分のことだけを考えて生きていけない時もあります。

 

10代、20代、30代・・・まだまだ夢だけを追いかけていたい!という時にも、様々なことがきっかけて、方向転換せざるをえないこともありますね。

 

それは自分自身に起こる変化かもしれないし、自分に関わる人の人生に左右されることかもしれない。

 

予期せぬ出来事は誰にでも起こるけど、だから夢をあきらめるのか?自分のやりたいことをあきらめるのか、あきらめないのか?

 

予期せぬ出来事は、平等に誰にでも起こることかもしれないけど、夢や自分のやりたいことをやるのか、あきらめるのかは、その人の考え方や生き方で変えられることです。

エンディングノートはきっかけづくり

夢や自分のやりたいことを諦めず、紆余曲折しながらも最期まで自分らしく生きる方法を見つけるには、様々な方法があるでしょう。

 

その一つが

エンディングノート

だと考えます。

 

これまで、20代や30代の人にもエンディングノートを体験していただきました。

 

その時には、自分のこれからの人生を考える上で、やりたいことや夢だけでなく、自分に関わるライフイベントを書いていただきます。

 

先ほどの「自分に関わる人の人生」という所です。

 

結婚も出産も子育ても介護も、自分のことだけど自分だけではありません。

 

時には、自分に関わる人の人生の変化に付き合うことにもなるでしょう。

 

結婚したいと思えば、その先の生活の変化があるし、親がいれば介護があるかもしれない。

 

そのことから目をそらして、自分のことばかり考えていると、突然の変化に対応できないから

あきらめる・やめる

という選択をせざるをえなかったという人は多いと思います。

 

介護離職もその一つ。

 

もしかして、自分の人生をしっかりと考え、情報を収集し、ある程度の対策や準備をしていれば、

形を変えながら自分のやりたいことをする

という選択ができます。

 

この「自分の人生をしっかりと考える」というきっかけを

エンディングノート

でも、始めることができるのです。

 

これは、保険会社の人もされていますが、まさしく

ライフプランニング

です。

 

エンディングノートっていう響とイメージから、どうにも「自分の死と向き合う」という感じですが、一緒です。

ライフプランニング=自分の一生を考える

ですよね?

 

ここでは、自分の一生なんだから、最期の日があることも考えているわけですよ。

 

もし「エンディングノートっていう響きが嫌なのよ!」って言われるなら、ご自身で

夢実現ノート

でも、

夢達成シート

でも、名前を変えていただいてかまいません。

 

まずは自分の夢・やりたいことを諦めないために、自分の人生に向き合ってみてください。

 

そこが一人じゃうまくできないのよねぇ・・・

という方は、

  • 仕事を成功させる、夢を叶えるエンディングノート活用術
  • 自分らしくいきるためのエンディングノート

などの講座に参加してみてくださいね。

 

 

※こちらの講座もオススメです

 

 

 

 

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著者:赤川 なおみ

らくらく終活@福山市新市公民館がスタート!

さくらもチューリップもたんぽぽも!みんな綺麗に咲いて、ようやく「春」って感じの毎日です。

 

さて、今年度は新たな取り組みとして「らくらく終活」という、毎月1回・一年間の連続講座を始めることになりました。

 

これは、福山市の公民館で開催されている事業の一つなのですが、新市公民館さんでは「新市コミュニティカレッジ」という年間プログラムが開催されています。

 

今年は、13講座が開講され、200人以上の方が参加されています。その中の一つが、この度スタートした「らくらく終活」です。

終活連続講座のメリット

これまで、様々なところで終活セミナーやエンディングノートの書き方講座をさせていただきました。

 

いつもは60〜90分で、スライドを見ていただきながらお話を進めます。

 

もちろん、わかりやすく「すぐ始めることができる」をモットーにしているのですが、それだけではなかなかできません。

 

終活の落とし穴・・それは・・・

続かないこと!

なのです。ダイエットと同じです(笑)

 

ビジネスセミナーでもよくありますが、聞いた時はテンションMAX!

 

すぐやろう!帰ったらやろう!と、気持ちが高ぶるのですが、帰ってしまったら「明日からね〜」となってしまう。

 

仮にすぐに行動できたとしても

三日坊主

という、恐ろしい敵が襲ってくるのです。

 

これは誰しもあることなので、責められません。私だって、気をつけないとすぐに「また今度〜」ってなることが沢山あります。

 

でも、毎月顔を合わせることで「そうだ、明日は終活の日だ!」と気づくこともできます。

 

他の参加者さんが進んでいれば「私もやらなくちゃ!」と、気合の入れ直しもできます。

 

なので、本来は単発講座よりも、連続講座のほうが本気で終活をしたい方には良いのです。

やっぱり片付け!

昨日は記念すべき第1回。

 

今年のメンバーさんは、男性1人・女性7人の合計8人の方で、毎月1回一年間、終活あれこれを学んでいただいたり、実行していただいたり・・ということになります。

 

最初に簡単なアンケートをさせていただき、自己紹介とともに

  • 家族構成
  • 終活のことで気になっていること

を一人ずつお話いただきました。

 

やはり・・・

片付け!

がトップですよねぇ。

 

女性が多いので、どうしても

捨てようと思うのだけど・・・

という声と

捨てようとしたら「高かった・・・」という気持ちが出てきて、また戻してしまって

と「片付けあるある」のお話しが止まりません。

 

あとは田舎にありがちなのですが、本家だと先祖代々の、誰のものか?いつのものか?わからない物も沢山あって、

嫁の立場で捨てて良いものやら・・と悩みます

というのもありますね。

 

それから

新しい家を建てたら、前の家は物置小屋・・そんな家兼倉庫が2つくらいある・・・

2階は使わないから、物置部屋・・・

なんていう、お片づけ専門家が聞いたら発狂しそうな状態もありました(笑)

 

こんな笑い話の中にも、実は隠れた終活問題が沢山あります。

 

そこは、おいおい気づいていただいて、何が問題?ということを考えていきたいと思います。

がんばりすぎない終活を!

今回の講座は「終活箱」を使って進めていきます。

 

メモや必要事項を書くシート、ファイルなどを入れていますが、今後は中身を充実させていきます。

みなさん「やらなくちゃ!」と気合十分ですが、終活は

一つやったら、はい!おしまい

というものではありません。

 

片付け一つにしても、そこから様々な問題が見えてきます。

家族構成からも、考えることは沢山あります。

 

そんなこと言っていたら

え〜〜〜それじゃ、終活って大変じゃない

ってなりそうですよね。

 

だから、飛ばしすぎない、頑張りすぎない。

自分のペースで少しずつです。

 

でも・・

頑張りすぎなくていいですよ!と言っても、少しずつでも進まないとダメですよ(笑)

やろうと思ってるのよね〜

って、やらなかったら、何にも変わらないのですから!

 

はてさて、これから1年どんな講座になるでしょう?

毎月、ご報告させていただきますので、どうぞお楽しみに!

 

また、

連続講座をうちでもやってみたい!

という場合には、下記よりお問い合わせくださいね。

 

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著者:赤川 なおみ

女性が自分の墓を買う時代に通ずる気がしたこの回答

今や、女性が「夫と同じ墓には入りません」と言う方は6割を超えたと聞いて、そういう時代よね〜と思っていました。

 

が、それは最近いきなりなったのではなく、少しずつ少しずつの蓄積だったのか〜と、再認識したこの記事。

「妻が両親の介護をしません」ベストアンサーに選ばれた回答

 

このタイトルから見ると、その妻を批判しそうなものですが、まぁ中を読んでみてください。

あ〜〜〜〜〜

そうよね〜〜〜〜

あるある〜〜〜〜〜〜

という感じと

は???

そんなことなわけ???

何が???

という声の両方が聞こえてきそうです。

 

親の看病に通う「息子」たち

最近では、病院でも息子(と思われる)さんが、お母さんの看病をされている姿をよく見ます。

 

息子と言っても、50代以上ですかね。

 

高齢化社会ですからね「うちの子」っていうおばあさんたちのその子どももまた「おじいちゃん、おばあちゃん」だったりするのです。

 

50代以上、特に60代以上で団塊の世代の男性と言えば、高度経済成長の中でサラリーマンとして、企業戦士として仕事一筋だった方も多いはず。

 

そして、女性は今のように「女性の地位向上」を叫び始めた頃で、まだまだ「家の家事を全て女性が行うのは当たり前」的な考え方がまかり通っていた世代です。

 

そんな生活をしてきた男性が、病院に毎日親の世話をしに通う。

慣れないことで、きっと大変でしょう。

 

「妻が両親の介護をしてくれません」と不満を言いたくなるのも、いたしかたない・・・のでしょうか?

奥の深い問題が隠されている

私が入院中にもよくみた光景ですが、50代・60代以降の男性が入院している親の看病に通う姿。

 

これは、施設でも同じように思います。

 

前述の記事のように、それまでの夫婦関係の問題もあるかもしれません。

 

夫は「うまくいっている」と思っていても、案外妻の方は不満が蓄積されているということもあるのでは?

 

この部分は専門家ではないので受け売りですが、男女の思考の差もありますよね。

 

男性は

喉元過ぎれば・・・

という体質みたいですが、女性は

あの時のことは忘れない・・・

と、男性が解決してきた問題だと思っても、ずっとひっかかり、蓄積して、何かの時には爆発することが多い

 

そんな違いもあって、実は「うまく行っている」と思っているだけかもしれません。

 

「熟年離婚」が話題になったのはいつ頃からでしょうか?

 

夫の定年を迎えたと同時に、奥様も「主婦は終わりです。さようなら」と、突然離婚してしまう。

 

夫は思い当たる節がなく、突然の出来事に事態が飲み込めない・・・

 

これも、本当は突然ではなく、前述の記事のように、日々の夫婦関係の積み重ねかもしれませんね。

 

熟年離婚まではいかなくても、質問者のような

妻が両親の介護をしてくれない

というのは、昨日今日のことではないように思います。

妻が薄情になったのか?

60代以上の「息子たち」が病院や施設によく通っていると言いましたが、それでは最近の妻はみんな薄情になったのでしょうか?

 

というよりも・・・

「女性はいつまでも忙しい」

ということではないかと思います。

 

正社員・パート・専業主婦を問わず、女性が中心に行っている「家事」というのは、定年がありません。

 

定年のない生活を送っている女性にとって「◎◎歳になったら暇になる」ということはないのです。

ですから、60を過ぎようが80になろうが、毎日忙しく動き回っている女性は多いもの。

 

そして、昔と決定的に違うと思われるのは、

仕事以外でも自分の居場所を作りコミュティを持っている

という女性が多くなったことではないでしょうか。

 

母をみて思うのですが、町内会の役立ったり、共同購入の役員だったり、あれこれ忙しそうです。

 

そして、そういう集まりで知り合った友だちとの食事や見学会など、でかけることも多いのです。

 

こうして、女性は家事や仕事以外にも「自分の居場所」を見つけている人が多くなっています。

 

だから

意地悪や薄情で看病をしない

のではなく

私は忙しいので、時間があるならあなた行って

という場合も多いのでしょう。

 

終活セミナーに参加する方の8割は女性ですし、終活を積極的に進めているのも女性が圧倒的に多い。

 

終活を進めるにあたっても、コミュニテイを作り「墓友」を代表するように、終活で知り合った人同士で仲良くなり、自分の居場所を作るのは女性。

 

ここで「女が強くなったもんだ」なんて言わないでください。

 

もちろん、女性の地位向上を叫び始めたのは女性でしょう。

でも、その叫びを上手に?利用して、自分の地位を上げてきた男性は少なくないはず。

 

「女性に活躍の場を!」と謳い文句に選挙に出た男性議員だって少なくないでしょう。

 

それが良い悪いはさておき、ここらで男女問わず「自分の活躍できる場」「自分の生涯関わることのできる居場所」を見つけることが大切なのでは?と思います。

 

仲間や居場所があれば、

妻が両親の介護をしないんです

なんてネットに愚痴らなくても、一緒に考え、解決策を見つけることができるはずです。

 

その居場所を見つけることも、一つの終活ですね。

—–

著者:赤川 なおみ

最期の時の過ごし方「家族に迷惑をかけない」は正解か?

家族に迷惑かけたくないんです

この言葉もよく聞くのですが、どういう意味の迷惑なのだろう?と、いつも思ってしまいます。

 

迷惑をかけることは悪いことでしょうか?

迷惑をかけないことが、家族に求められていることなのでしょうか?

 

自分の意思を貫くこと

昨日ご紹介したこちらのブログ

「エンディング・ノートでも終活セミナーでも学べない!〜離島に学ぶ本当に豊かな『終活』」

 

本当の意味での終活という視点では、もう一つ考えさせられる内容が含まれています。

 

ブログの中で紹介されている末期ガンのお父さんとご家族は、医師のいない、何かあってもすぐに医師が駆けつけることが難しい島で、最期まで生活することに決めます。

 

単純に考えたら「無理」ということになるのかもしれないし、家族以外の周囲からも「やめましょう」と言われるかも知れません。

 

この島でも、ここ10年はそのような看取りはなかったと書かれています。

やはり、終末期に入ると「何かあったらすぐに対応できないから」と、病院のある場所に行くことになるのでしょう。

 

確かに病院にいれば、何かの時にはすぐに対応してくれますし、1日中家族が見守ることもないかもしれません。

 

「家族に迷惑をかけたくない」というなら、病院で最期を迎える選択になるのかもしれません。

 

でも・・・

 

病院は治療をするところ

それじゃ、みなさんの希望通り「家族に迷惑をかけないように」と、終末期になったら病院に入るのか?

 

でも、みなさん

延命治療はしたくない

のでしたよね?

 

病院に入るということは、少なからず改善するようになんらかの処置をするということです。

 

ご経験がある方もいらっしゃるかもしれませんが、もう少し入院していたいなぁ・・と思っても

治療は終わりましたので、退院してください

と、あっさり言われます。

 

終末期においても、がん末期であっても

これ以上の治療をしない

と決めれば、病院は「帰って結構です」となるわけです。

 

それでも「家族に迷惑をかけない」と考えて、病院にいるとしたら・・・

何か矛盾していませんか?

本気の”わがまま”は家族のためでもある

島で最期まで生活したいと言ったお父さん。

 

終末期になれば、さまざな体調の変化があります。

病院にいれば、その都度対応してくれるでしょう。

近くに在宅医がいれば、駆けつけてくれるでしょう。

 

急変に対応してくれるから、家族は安心でいられるのかもしれません。

 

でも、島で最期まで生活したいと言ったお父さんを見守る家族は、急変に対応しなければなりません。

 

いつも「大丈夫かな」と、気を揉んでいなくてはいけないかもしれません。

 

そんな状態は

家族に迷惑をかけている

のかもしれません。

 

でも、ブログのご家族はお父さんのわがままを「迷惑」と感じたでしょうか。

 

私の義弟も、終末期を自宅で過ごしました。

その時の様子はこちら。

 

家で迎える最期は迷惑でしょうか

 

義弟もそうでしたが、我が家の義父もどちらかといえば手のかかる人でした。

 

「あと1週間くらいですね」と言われてから1ヶ月半でした。

その間、毎晩病院に泊まりました。

昼間は義母、夜は私。

 

私が泊まれない日は、子どもたちが代わってくれました。

 

でも、義弟の家族も、私も、子どもたちも

迷惑だった

なんて思っていないのです。

 

その時間を共有できたこと、しっかりと家族の時間を過ごせたことで、死を受け入れることができたと思っています。

本気の”わがまま”は、迷惑ではなく、幸せな時間になるのです

だから、その時をどう過ごしたいのか?

しっかりと考え、エンディングノートに書いたら、しっかりと話す時間を持ってください。

 

 

 

 

 

延命治療をしない選択は迷惑をかけないのか?

—–

著者:赤川 なおみ

エンディングノートに書いたから大丈夫。ではない終活

自分の最期を、どこでどのうに過ごすのか。

終活セミナーでも、このブログでも、色々とお話したり書いたりしてきました。

 

そんな中、こちらのブログを見つけました。

「エンディング・ノートでも終活セミナーでも学べない!〜離島に学ぶ本当に豊かな『終活』」

 

現代の常識?なら

それはムリでしょう

と、きっと言われることも、真剣に考え向き合えば、本当に幸せな時間と最期を迎えることができるのだと、このブログを読んでいただければわかると思います。

 

このブログを読んで、終活とそのツールとしてのエンディングノートについて考えました。

 

なぜ「延命治療をしたくない」というのになぜ病院へ?

講演を聞きに来てくださる方に「延命治療を希望しますか?」と質問をすると、99%の方が「したくありません」と答えます。

 

ただ「延命治療をしたくない」と言っても、どういう状態を想像して言われているのかな?と思うと同時に

そうは言っても、ほとんどの方が延命治療をしてしまうのですよ

と言うことにしています。

 

これには、様々な理由があるのですが、まずは

どうしてすぐに病院に行くの?頼るの?

ということ。

 

年齢とともに、多少体に不調が出てくるのは自然なこと。

その不調と付き合いながらも、なるべく自分がしたいことはできるように、予防したり運動したりしながら、ゆるやかに年齢を重ねるのが自然なこと。

 

なのに、少しの不調でも病院に行って「薬ください」と言っていませんか?

中には、先生は薬はいらないと言っても、薬を出してもらえるまで食いさがる方も見かけます。

 

医療の進歩は素晴らしいものがあり、本当に必要としている人にとっては待ち望んでいる治療法や薬もたくさんあります。

 

しかし、本当の意味で自分に必要かどうか?を考えながら病院や薬と付き合っていますか?

 

病院や薬に頼りすぎてはいませんか?

自分らしいってなんでしょう?

どんなに頑張っても、20歳と60歳で同じようにスポーツができるわけではないし、50歳を過ぎても中高生のように、シワひとつない!なんて、不自然だと思いませんか?

 

もちろん、できることができなくなることは寂しいこともあるけれど、その年齢なりの楽しみかたってありますよね。

 

どうしても、自分の「老い」を受け入れることは難しいもの。

どうにかあがいてしまうのは、誰しもあることだと思います。

 

ただ、最終的にどうなりたいのか?どんな人生を送りたいのか?

 

「自分らしい生き方」という言葉をよく聞きます。

エンディングノートを書くことでも、「自分らしい生き方」を見つけることができます。

 

しかし「見つけた!」だけでは、その通りの生き方ができるわけではありません。

 

見つけて、それを実行しなくてはいけないのです。

 

そして、実行するには、さまざまなことに向き合い、考え、受け入れることも必要になります。

 

エンディングノートはマニュアルのようなもの

先にご紹介したブログの中にも書かれているのですが、

いざその時!になる前に、 

みんなでしっかりと本心を語り合い、

誰もが迎えなければならない「人生の終末」について、

「あなたの人生の正解」について考える。

 

この道のりを経なければ、

「エンディング・ノート」というマニュアルも、

「近くの病院」という医療システムも、

・・・どんなに完璧なマニュアルやシステムがあっても、

 

あなたの幸せな人生にとって本当の意味で役立つものにはならないでしょう。

(Dr.森田の 医療・介護のお悩み相談室 より)

この部分に強く共感しました。

 

延命治療は希望しないのに、体調が悪くなったら病院に行く。

エンディングノートを書いても、その内容を誰にも伝えない。

あれがないから、これがないからできない・・と、できない理由を探して、できる方法を考えない。

 

これでは、エンディングノートを書き上げたとしても、本当の意味で自分の希望を叶えることはできません。

 

エンディングノートは、書いたら伝えることが大切。

共有することが大切。

 

本当の意味で、あなたの『終活』を考えてみませんか?

 

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著者:赤川 なおみ

エンディングノートを普及するということ

朝ドラも最終回。今日から新年度、という方多いですね。

エンディングノート普及協会は、2013年1月に発足したのでこれまで新年度は1月でした。

 

が、来月5月からのステップアップを控え、今期より4月が新年度となることになりました。ということで、昨日〜今日にかけていろいろ考えました。

 

エンディングノート普及協会発足当初

2010年にコクヨのエンディングノートが大ヒットしたこともあり、少しずつ「エンディングノートって何?」とか「エンディングノートを買いました」という声を聞くようになりました。

 

2012年には、故金子哲夫さんが「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」を出版されたこともあり

自分の最期を自分で決める

という考え方も広まり始めていました。

 

協会を発足し、毎日ブログを書き、少人数のエンディングノートの書き方講座を自主開催しながら、少しずつ活動を広げていった2013年。

 

まだまだ「エンディングノートの書き方講師」なんて、検索する人もいなかったなぁ・・・

 

それが、今はネットで検索するだけでも、結構な人数の「書き方講師」がいらっしゃいますし、プランナーさんやアドバイザーさんと、様々な肩書きも増えました。

 

エンディングノートの賛否はあれ、やはり

必要とされている

というのは間違いないのだなぁと再認識。

なんでエンディングノート?

改めて「なぜエンディングノートなんだろうか」と考えてみました。

 

エンディングノートには「伝える」「残す」「整理する」などの役割があります。

 

伝える

大切な人に想いを伝える

必要事項を、困らないように伝える

自分の望みを伝える

 

残す

自分の考えている事や思い出を残す

わかりやすく書残す

自分の想いを残す

 

整理する

自分の人生を振り返る

どのように生きるかを考えるために整理する

書き出して整理するものを見極める

 

などなど、同じ「伝える」「残す」「整理する」でも、様々な用途があります。

 

もちろん、顔をみて言葉で伝えることは大切で、できることならそのような時間を持っていただきたいと思っています。

 

とはいえ、現在の生活スタイルや環境を考えると、たとえ一緒に暮らしていたとしても、お互いの気持ちや考えていることを伝え合うことは難しいもの。

 

となると、やはり文字にして書き、それを読んでもらうということが現実的。

 

もちろん、今の時代はメールやSNSのメッセージのやり取りで日々行えることもありますが、短い文字のやりとりでは伝えきれないこともありませんか?

 

現代だからこそ、アナログではありますが

紙に書いて残す

というエンディングノートが大切なのではないでしょうか。

 

エンディングノートを普及するということ

ある時まで、いえ昨日までかもしれません。

「エンディングノート普及協会」という名称、また「普及」とつけた事に、どことなく「普及ってなんじゃ?」という気持ちがありました。

 

というのも、この名称を聞いた友人の多くから

私は(僕は)エンディングノート書かないから!

と、言われたから。

 

いやいや。もともとこの協会を立ち上げた時から「普及協会」という名はついていても、別に

エンディングノート書いたの?

書かなくちゃダメよ!

と、エンディングノートを書きなさいよ!って勧めようと思っていたわけではありません。

 

とはいえ、本当多くの人に「書かないから」と言われてしまい、

自分のやっていることは、そんなに押し付けがましい事なのか?

と、真剣に悩んでいました。

 

そんなこともあり、普及協会という名称とは裏腹に

エンディングノートを書かなくてもいいですよ

と、終活講座やブログの中で伝える事が多くなりました。

 

確かに、エンディングノートが広まると同時に「エンディングノートがあるから揉めるんだ!」という声もあがっているのは事実。

これは、エンディングノートの正しい使い方や、何のためにあるのか?何のために書くのか?を理解しないまま書いてしまうからなんですよね。

 

受け取る相手の事なんておかまいなしで、自分の想い、希望だけを書いてしまうと、受け取った人は「は??大変なんですけど!!!」ってなるかもしれません。

 

最初にも「自分の想いを書く」とか「自分の希望を伝える」と書きましたが、決して何でも書けば良いといものではありません。

書く人がいて、そのノートを受け取って実行する人がいる。

 

この双方向の関係なくして、エンディングノートを書いたとは言えないのです。

 

だから「渡す人がいないと思われた方は、すぐにご相談ください」と伝えているわけで・・・

 

そんなこんなありましたが、自分自身も新年度にあたり、じっくり考えていく中で「エンディングノートを普及するということ」について、腑に落ちる事がありました。

 

押し付けがましくても、書かない!って言われても、いろいろなツールはあるけど、注目されているのは事実です。

書きたいと思って買う人が多いのも事実。

 

そして何より「あぁ、聞いていれば」とか「もう少し早く気づいて解決しておけば」という場面に遭遇する確率は、年々増えています。

これから2025年に向け、日本は超高齢化社会となり、認知症を発症するだろう人は5人、6人に一人、予備軍まで含めると3人に一人と言われています。

 

様々な問題を考えると「どこから手をつけるんだ!!!」と、頭を抱える事もあります。

 

だからこそ、エンディングノートに書いてみる。

今の自分、これからの自分、必要なこと、必要になりそうなこと、問題になりそうなこと・・・

 

書き出して、整理して、問題があれば解決する。

 

年齢に応じて、様々な節目でエンディングノートを書く。

 

私が祖母の着物を前に

「どうしたいのか、どれが大切か聞いておけばよかった」

と悩んだのだから、我が子には自分がどうしたいのか書いておく。

 

こうして、多くの方にエンディングノートを活用していただくためにも、エンディングノート普及協会は

年齢や性別や住んでいる環境、生活スタイルに合わせ、その人その人にあったエンディングノートを見つけるお手伝いをする

そして何よりも「書いてみたい」「書かなくちゃ」と思っている人が

エンディングノートを書きました!

と言えるよう、情報の提供やサポートしていくこと。

 

それぞれの人生の終わりに

やっておけばよかった

ではなく

やってよかった!

と言えるよう、エンディングノートを通してサポートしてまいります。

 

2017年4月1日

エンディングノート普及協会代表 赤川 なおみ

 

 

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