特定非営利活動法人

エンディングノート普及協会

月別アーカイブ 2月 2021

著者:赤川 なおみ

映画「痛くない死に方」を観ました

延命治療を希望しない、最期は住み慣れた家が良い。

多くの人が希望するこの二つのことが、どうして実現しないのだろう。

どうして難しいことなのだろう。

その答えは、一人一人がしっかりと「生と死に向き合うこと」と医療の現場の「慣習に疑問を持つ医師が増えること」なのかもしれないと考えさせられた「映画:痛くない死に方」を観ました。

誰しも「痛いのは嫌だ」と思っている

延命治療をどうするか?ということに関しては、ただ漠然と「管に繋がれる延命治療は嫌だ」と思う人が多いけれど、「痛いのは嫌だ」というのは、全ての人が思うことでイメージもしやすいことだと思う。

それでは「痛い」というのは、どういうことか?

イメージとしては、身体のどこかが痛くてのたうちまわるイメージかもしれないけれど、その様子を見ている(看ている)人も痛いし辛い。

亡くなる間際に「こんなことなら◯◯しておけばよかった」と人生を振り返って後悔する人が多いと言われるけれど、それと同じように「生きている間に◯◯してあげればよかった」と後悔する家族は本当に多い。

そして、一番近くで見ていた人にとっては、非常に痛い経験であり、記憶として残ってしまう。

まさしく「本人も家族も痛い最期」がこの映画の前半で描かれていた。

末期癌の父を看病する娘は、父の「最期は家で」という希望をかなえるために、様々な勉強をし、献身的に尽くしていたのに、なぜ「痛い死に方」になってしまったのか。

「最善を尽くして死をまつ」と言い切れるほどに勉強し、腹を括っていた娘の心を打ち砕いたものは何か。

お父さんの苦しむ姿にはグッとくるものがあったけれど、私はそれよりも娘役の坂井真紀さんに自分を重ねて涙が出た。

10年以上前、遠くに住む友人に代わって友人のお母さんの看病をしていた時、家族の都合もあって管に繋がれたそのお母さんの付き添いをしながら、今回の映画と同じ光景を何度もみた。

その光景を、ただ見ているしかない自分が娘役の坂井さんに重なった。

悔しいやら、辛いやら。

辛そうな友人のお母さんのそばで、苦しくても心臓が止まらない、なんとも言えない時間は「痛い時間」以外の何ものでもなかった。

テレビドラマでは、管に繋がれていても動かなくなって、カクッとなったらご臨終ですみたいなシーンばかりだけれど、人が命を閉じる時ってそうじゃない。今回の映画では、その時を鮮明に思い出すほど忠実に表現されていると感じた。

映画前半の涙は、可哀想なんていう感情ではなかった、自分が痛い、辛い、怖い、そんな感情の涙だったと思う。

臨終儀式に縛られる医師たち

臨終儀式というと、本来は亡くなってからの流れのことを指すようだけど、今回の映画で描かれていたのは、主人公で研修中の柄本さん演じる在宅医が「なぜ在宅医になったのですか?」と先輩に聞くシーンで使われていた。

聞かれた先輩在宅医は、蘇生のための心臓マッサージではなく「患者の死を認めたくない」ための心臓マッサージのことを思い出し「臨終儀式」と言った。

その言葉に私はハッとして、急いで書き留めた(今回は映画の途中、真っ暗な中で幾度もノートに書き殴っている)。

そう言えば他にも「早く退院させるための遺漏の増設」や「時間通りの痛み止めの投与」など、医師も患者も当たり前だと思っていることが、実はそうなの?と考えるきっかけになる場面がいくつもあった。

私も祖母の介護の際、少し体調を崩して入院した際に「食欲が落ちているので遺漏にした方が」と言われ、それを拒否すると「それでは施設には戻れませんよ」と、家族が困るであろう言葉を突きつけられた。

この時初めて「遺漏なら施設にいられて、最期まで口から食べさせたいと言えば、在宅で診るしかないのか」と気づいた。そんなことになるとは、施設入所の際に誰も教えてくれなかった。

その後色々と調べていくうちに「遺漏が病院の医師の切り札的なもの」になっていることもわかってきたし、在宅医とは他の選択も検討できることを知った。

こう考えると「延命治療をしたくない」という希望は、「あなたのためを思って」と本人の気持ちを受け入れられない家族と、敗北感を味わいたくない医師によって遮られるのだと、映画を観ながら改めて感じた。

生きるとは食べること

 

延命の 家族愛とは エゴイズム

この言葉の本当の意味を、しっかりと考えていきたい。

本人とケアする人と医師

最近では「本人の意思が大切」「意思決定の必要性」など、本人の希望について焦点が当てられるようになっている。

エンディングノートも、一歩間違えると周りの人はお構いなしの「わがままノート」が出来上がっていることもあるし、きっちり時間をかけて向き合ったにも関わらず、誰もそのノートの存在を知らないままということもある。

本当の意味で「本人の意思を尊重する」ためには、第一にそばでケアする人が腹を括る必要があると再認識した。

昨年末に義母の在宅看取りをした際に、多少なりとも情報があって、在宅で看取るということがどういうことかわかっていた私でさえ、何度も義母の意思を尊重するべきかどうか悩んだ。

尊重しているのか、見殺しにしているのか、自分だけではわからなくなってしまう。

本当にこれで良いのか?

もっとできることがあるのに、あきらめているのではないのか?

何が自然で、何をすると良いのか?

焦点の合わない義母の顔を見る時、一瞬意識がなくなる義母を見る時、本当にケアする家族が「これで良いのだ」と思えなければ、やはり怖くて救急車を呼びたくなると思う。

救急車 在宅看取り 夢を消す

宇崎竜童さん演じる終末期の男性が書いた川柳(もどき)の一つ。

そうは言っても、いくら腹をくくっていたって医師や医療従事者ではないわけで、素人の家族としてはどう判断したらよいのかわからない。

そんな時、やはりいつでも電話できる、相談できる医師の存在は必要不可欠で、映画の中でも妻役の大谷直子さんも、前述の坂井真紀さんも、思わず電話をするシーンがあった。

この時の電話対応で、大きく流れが変わるシーンについては、実際に観ていただいて考えていただきたい。

私も、信頼できる在宅医と出会えたからこそ、時間をきにしつつもメールをしたり、電話をしたり、時には夜中でもきていただいたりしながら、なんとか救急車を呼ばずに在宅で看取ることができた。

信頼できる在宅医との出会いは、そうそう簡単ではない(先生方申し訳ありません)ので、本気で「最期は家で」と考えているなら、ぜひ早めに調べたり相談したりしてほしい。

最後に

今回の映画は、当協会の代表として終活を考える立場としてはもちろん、これまでも、これからも介護が続く一人の家族としても、一人でも多くの人に観ていただきたいと思います。

原作の長尾和宏先生、脚本・監督の高橋伴明氏、演じてくださったキャストのみなさま、制作に関わられた全てのみなさまに感謝いたします。

痛くない死に方

原作・医療監修:長尾和宏
脚本・監督:高橋伴明

 

 

 

 

 

著者:エンディングノート普及協会

海洋散骨の本来の姿をハワイにみる

葬送の一つの形として海洋散骨があります。

数年前から注目を集め、一時は「散骨希望」の方が増えていました。

しかし、私の印象では一時期の盛り上がりは落ち着き、海洋散骨がどんどん増える感じではなくなっているように思います。

なんでだろうなぁ・・・とずっと考えていたのですが、ハワイ在住の日本人の方との会話から答えをいただいた気がしました。

※クリックしていただくと音声が流れます

海洋散骨とは?

海洋散骨とは、文字通りご遺骨を海洋に散布することであり、そうした方法で故人を葬ることを指します。故人が生前海好きで、死後は自然に還りたいと希望していたというような場合に選ばれることの多いスタイルです。

出典:安心葬儀さんサイト

散骨には、海洋散骨の他に山林散骨や空中散骨などの種類があります。

散骨については、刑法第190条 死体遺棄罪との兼ね合いでグレーゾーンではありますが、

刑法190条の規定は社会的習俗としての宗教的感情などを保護するのが目的だから、葬送のための祭祀で節度をもって行われる限り問題ない

と法務省が非公式ながらも見解を示したことから、条件をクリアしている場合は法に触れないということになっています。

海洋散骨のハードル

海洋散骨がメディアで紹介されるようになって「自分の骨は海に撒いて欲しい」とエンディングノートに記入する方も増えているようです。

実際にご夫婦二人で先立たれた奥様を散骨され、ご本人もなくなった際に同じ海に散骨できるように手配したという記事を読んだこともあります。

友人の中にも実際にお父様の生前からのご意向で、海に散骨した方もいらっしゃいます。

とはいえ希望はあっても、近年伸びている樹木葬ほどではありませんよね。

理由として考えられるのは「費用がかかる」という点でしょうか。

日本では「散骨する周辺への配慮」という点から、海洋散骨の場合はどうしても船をチャーターして沖に出る必要があるため、それなりの費用がかかることは避けられないのが現状です。

ハワイの海洋散骨

最近利用している音声配信アプリ stand.fm で、ハワイ在住の日本人KANOA HAWAIIさんとコラボLIVEをさせていただいた際に、ハワイの葬儀事情についてお聞きすることができました。

その中で気づいたこと、なぜ日本ではなかなか海洋散骨が広がらないのか?が見えてきました。

ハワイでは、亡くなったら自宅のカヌーに乗って海辺から少し離れた場所まで移動し、散骨するのだそうです。

離れると言っても、海岸から目視できる距離だそうで、カヌーに乗れない人や高齢の方は海辺からその様子を見守り、一緒に祈るとのこと。

近くを通るカヌーに乗っている人や、海辺でその光景をみる人たちも「散骨しているんだな」くらいな感じで、特別なことではないのですとおっしゃっていました。

日本では、霊柩車とすれ違うだけでも、なんとなくテンションが下がるという人もまだまだいらっしゃいます。必ず誰でも乗る物ですが、まだまだ「葬送」については後ろ向きな感情があることは否めないと思います。

それに比べてハワイの散骨は、人の死を受け入れ、早かれ遅かれ誰にも訪れることとして受けとめているのだと感じました。

弔いは日常の中にある

ハワイの散骨のことをうかがい「あぁ、ハワイでの葬送の儀は日常の一つなのだな」と思いました。

日本では「仏壇やお墓に手を合わせる」習慣があり、その場に行けば故人に会えるというイメージがあります。

そのこともあり、散骨してしまうと「心の拠り所がなくなる」という声もありますね。

そこで注目されたのが「手元供養」ですね。お骨の一部を手元に置いて手を合わせるという方もいらっしゃいます。

海洋散骨の場合、お墓参り同様に年に一度散骨した場所まで船を出して手を合わせる手配をしている業者さんもありますが、それも費用の面でハードルが高く「いつでも気軽に行ける」とは言い切れません。

この点、ハワイの人たちは

日常的に海で泳ぐからいつでも会える

海辺にくればいつでも思い出せる

とKANOAさんがおっしゃったのを聞いて「そうか、本場の海洋散骨は特別なことではなく、日常の中にあることなんだ」と納得したのです。

カヌーも自宅にあるし、周りへの配慮から遠くまで行くこともないし、生活の中に海がありいつでも会いにいくことができる、故人をいつでも感じることができる。

日常の中にあるからこそ、海洋散骨が受け入れられ、一般的な弔いの形になっているんですね。

そうすると、やはり日本人にとっては、まだまだお墓や仏壇が必要であるのかな?と。

特にお墓や仏壇に手を合わせる習慣のある世代にとっては、墓じまいはわかっていても受け入れがたい場合もあるだろうし、進め方は慎重にしなければと再認識もしたのでした。

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著者:エンディングノート普及協会

オリジナル会葬礼状をスタンダードに

会葬礼状とは

会葬礼状は、通夜や告別式に参列してくださった方へのお礼状です。お清めの塩やハンカチなどの会葬返礼品と一緒に渡します。
忌明けのあいさつ状は、四十九日頃に香典返しと一緒に添えて送るのが一般的です。

出典:くらしの友葬儀 

葬儀などに参列したり、お香典を渡すと返礼として受け取る会葬礼状。

一般的には葉書サイズのモノクロで

亡父 ○○ ○○の通夜葬儀に際し
ご多用中にもかかわらず
遠路わざわざ会葬くださり・・・・・

のようなお決まりの文章が印刷された物をイメージしますよね。

亡くなった人のことがなんとなくわかる程度、家族も「とりあえずお渡しする物」という感じで、私は常々「資源の無駄遣いなのでは?」と感じていました。

そんな時、Twitterで葉月美雨さんの投稿を拝見したのです。

そこには、心のこもったオリジナルの会葬令状が投稿されていました。

オリジナル会葬礼状

葉月さんはプロのライターさんとして様々な執筆のお仕事をなさっていますが、会葬礼状ライターとしても活動されています。

会葬礼状ライター?

会葬礼状なんて、テンプレートから選ぶのではないの?と思われますよね。

葉月さんは、プロの会葬礼状ライターとしてご遺族からお話を聞き、オリジナルの会葬礼状を作成されています。

私が感動したのは、こちらのオリジナル会葬礼状。

こちらは61歳の女性をモデルに、生前に自分で書いておくサンプルとして書かれたものだそうです。

これを拝読した瞬間「これよ!!!」と感動しました。

私は以前から、すーちゃん(故 田中好子さん)が葬儀の際に、ご自身が最後に録音されていたお礼の言葉が式場内で流れる場面をテレビでみて、これこそが参列してくださった方への本当のお礼だと思っていました。

このようなオリジナルの会葬礼状をつくることができれば、そして会場礼状といえば故人の生きた証として生前に自分で書いておくもの、ということが一般的になれば良いと思いませんか?

エンディングノートの思い出のページから

とはいえ、突然会葬礼状を自作するのは難しいですよね。

そんな時には、エンディングノートの「大切な人へのメッセージ」や「思い出」のページから始めませんか?

口で伝えるのは照れ臭いけれど、でも伝えておきたい気持ち、どなたにもありますよね。

大切な人を思いながら書くエンディングノートは、今の自分を見つめるきっかけにもなるのです。

おうち時間の長いいまだからこそ、気持ちを書き出してみませんか?

 

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