特定非営利活動法人
延命治療を希望しない、最期は住み慣れた家が良い。
多くの人が希望するこの二つのことが、どうして実現しないのだろう。
どうして難しいことなのだろう。
その答えは、一人一人がしっかりと「生と死に向き合うこと」と医療の現場の「慣習に疑問を持つ医師が増えること」なのかもしれないと考えさせられた「映画:痛くない死に方」を観ました。
延命治療をどうするか?ということに関しては、ただ漠然と「管に繋がれる延命治療は嫌だ」と思う人が多いけれど、「痛いのは嫌だ」というのは、全ての人が思うことでイメージもしやすいことだと思う。
それでは「痛い」というのは、どういうことか?
イメージとしては、身体のどこかが痛くてのたうちまわるイメージかもしれないけれど、その様子を見ている(看ている)人も痛いし辛い。
亡くなる間際に「こんなことなら◯◯しておけばよかった」と人生を振り返って後悔する人が多いと言われるけれど、それと同じように「生きている間に◯◯してあげればよかった」と後悔する家族は本当に多い。
そして、一番近くで見ていた人にとっては、非常に痛い経験であり、記憶として残ってしまう。
まさしく「本人も家族も痛い最期」がこの映画の前半で描かれていた。
末期癌の父を看病する娘は、父の「最期は家で」という希望をかなえるために、様々な勉強をし、献身的に尽くしていたのに、なぜ「痛い死に方」になってしまったのか。
「最善を尽くして死をまつ」と言い切れるほどに勉強し、腹を括っていた娘の心を打ち砕いたものは何か。
お父さんの苦しむ姿にはグッとくるものがあったけれど、私はそれよりも娘役の坂井真紀さんに自分を重ねて涙が出た。
10年以上前、遠くに住む友人に代わって友人のお母さんの看病をしていた時、家族の都合もあって管に繋がれたそのお母さんの付き添いをしながら、今回の映画と同じ光景を何度もみた。
その光景を、ただ見ているしかない自分が娘役の坂井さんに重なった。
悔しいやら、辛いやら。
辛そうな友人のお母さんのそばで、苦しくても心臓が止まらない、なんとも言えない時間は「痛い時間」以外の何ものでもなかった。
テレビドラマでは、管に繋がれていても動かなくなって、カクッとなったらご臨終ですみたいなシーンばかりだけれど、人が命を閉じる時ってそうじゃない。今回の映画では、その時を鮮明に思い出すほど忠実に表現されていると感じた。
映画前半の涙は、可哀想なんていう感情ではなかった、自分が痛い、辛い、怖い、そんな感情の涙だったと思う。
臨終儀式というと、本来は亡くなってからの流れのことを指すようだけど、今回の映画で描かれていたのは、主人公で研修中の柄本さん演じる在宅医が「なぜ在宅医になったのですか?」と先輩に聞くシーンで使われていた。
聞かれた先輩在宅医は、蘇生のための心臓マッサージではなく「患者の死を認めたくない」ための心臓マッサージのことを思い出し「臨終儀式」と言った。
その言葉に私はハッとして、急いで書き留めた(今回は映画の途中、真っ暗な中で幾度もノートに書き殴っている)。
そう言えば他にも「早く退院させるための遺漏の増設」や「時間通りの痛み止めの投与」など、医師も患者も当たり前だと思っていることが、実はそうなの?と考えるきっかけになる場面がいくつもあった。
私も祖母の介護の際、少し体調を崩して入院した際に「食欲が落ちているので遺漏にした方が」と言われ、それを拒否すると「それでは施設には戻れませんよ」と、家族が困るであろう言葉を突きつけられた。
この時初めて「遺漏なら施設にいられて、最期まで口から食べさせたいと言えば、在宅で診るしかないのか」と気づいた。そんなことになるとは、施設入所の際に誰も教えてくれなかった。
その後色々と調べていくうちに「遺漏が病院の医師の切り札的なもの」になっていることもわかってきたし、在宅医とは他の選択も検討できることを知った。
こう考えると「延命治療をしたくない」という希望は、「あなたのためを思って」と本人の気持ちを受け入れられない家族と、敗北感を味わいたくない医師によって遮られるのだと、映画を観ながら改めて感じた。
生きるとは食べること
延命の 家族愛とは エゴイズム
この言葉の本当の意味を、しっかりと考えていきたい。
最近では「本人の意思が大切」「意思決定の必要性」など、本人の希望について焦点が当てられるようになっている。
エンディングノートも、一歩間違えると周りの人はお構いなしの「わがままノート」が出来上がっていることもあるし、きっちり時間をかけて向き合ったにも関わらず、誰もそのノートの存在を知らないままということもある。
本当の意味で「本人の意思を尊重する」ためには、第一にそばでケアする人が腹を括る必要があると再認識した。
昨年末に義母の在宅看取りをした際に、多少なりとも情報があって、在宅で看取るということがどういうことかわかっていた私でさえ、何度も義母の意思を尊重するべきかどうか悩んだ。
尊重しているのか、見殺しにしているのか、自分だけではわからなくなってしまう。
本当にこれで良いのか?
もっとできることがあるのに、あきらめているのではないのか?
何が自然で、何をすると良いのか?
焦点の合わない義母の顔を見る時、一瞬意識がなくなる義母を見る時、本当にケアする家族が「これで良いのだ」と思えなければ、やはり怖くて救急車を呼びたくなると思う。
救急車 在宅看取り 夢を消す
宇崎竜童さん演じる終末期の男性が書いた川柳(もどき)の一つ。
そうは言っても、いくら腹をくくっていたって医師や医療従事者ではないわけで、素人の家族としてはどう判断したらよいのかわからない。
そんな時、やはりいつでも電話できる、相談できる医師の存在は必要不可欠で、映画の中でも妻役の大谷直子さんも、前述の坂井真紀さんも、思わず電話をするシーンがあった。
この時の電話対応で、大きく流れが変わるシーンについては、実際に観ていただいて考えていただきたい。
私も、信頼できる在宅医と出会えたからこそ、時間をきにしつつもメールをしたり、電話をしたり、時には夜中でもきていただいたりしながら、なんとか救急車を呼ばずに在宅で看取ることができた。
信頼できる在宅医との出会いは、そうそう簡単ではない(先生方申し訳ありません)ので、本気で「最期は家で」と考えているなら、ぜひ早めに調べたり相談したりしてほしい。
今回の映画は、当協会の代表として終活を考える立場としてはもちろん、これまでも、これからも介護が続く一人の家族としても、一人でも多くの人に観ていただきたいと思います。
原作の長尾和宏先生、脚本・監督の高橋伴明氏、演じてくださったキャストのみなさま、制作に関わられた全てのみなさまに感謝いたします。
原作・医療監修:長尾和宏
脚本・監督:高橋伴明
エンディングノートナビゲーター®️・終活講師の赤川です。
最期を自宅で迎える・・・と言っても、迎え方は二通りありますね。
違いについてお伝えしますね。
自宅で突然亡くなると、発見されるまでに時間がかかる場合もありますし、目の前で急変することもありますよね。
コロナ渦で自宅待機中に急変したというニュースや体験談なども耳にしますが、この場合はどうでしょうか?
容態の急変はコロナだけではありません。脳梗塞や心筋梗塞などもそうですね。
目の前で倒れたらどうしますか?
まずは救急車!ということになるかと思うのですが、本人が「自宅で倒れたら、救急車を呼ばないでそのままで」と希望されている場合もあります。
もちろん、延命治療をしたくないという意思表示なのですが、倒れても処置が早ければ日常生活に戻ることができる場合もありますので、「救急車呼ばないで!」と言われている場合には、しっかりと確認しておいてくださいね。
終末期は自宅で過ごしたいと言う希望のもと、自宅療養して亡くなる場合は、まずはかかりつけ医に連絡をしてください。
「最期まで自宅で」というご希望の場合、本人よりも家族の心構えがちょっと必要になります。
わかっていても容態が変化していくと心配、怖くなって救急車を呼んで、結果病院で亡くなることになるケースは多いもの。
「ご自宅で」と希望される場合も、しっかりとかかりつけ医、介護やケアしてくださる方と話しをしておいてくださいね。
人生会議がオススメです。
連絡が取れないから来てみたら亡くなっていた。
同居の家族がいても、外出から帰ってきたら亡くなっていた。
このように、明らかに「息をしていない」とわかる場合はどうでしょうか?
この場合、かかりつけ医がいる場合は、まずはかかりつけ医に連絡してください。
いない場合は警察(110番)に電話してください。
119番の救急車を呼びそうになりますが、もし救急車が駆けつけても、亡くなっていることが確認された場合は救急車は帰ってしまいます。
なぜなら、救急車は遺体は搬送できないからです。
そして、かかりつけ医がいる場合にはきていただいて「死亡診断書」を書いていただくのですが、いない場合には警察に「死体検案書」を書いてもらってください。
「え?事件でも何でもないのに警察なの?」と思われる方も多いかもしれませんが、警察の検案ののちに警察医が死体検案書を作成するという流れです。
死亡診断書や死体検案書がないと、火葬ができませんので、まずはかかりつけ医か警察に死亡を確認、書類を作成していただきましょう。
人が亡くなった場合葬儀や火葬が行われるわけですが、火葬までにも色々とあります。
一般的には病院などで亡くなられた場合は、病院で身体をきれいにしてくださって準備が整うと自宅又は葬儀を行う会館などに移動。
お通夜、葬儀、火葬そして後に埋葬という流れになりますね。
ですがご自宅で亡くなった場合、特に亡くなっていることをご自身や家族が発見した場合には、医師や警察が到着するまで絶対にご遺体を動かなさない!ということ。
どうしても動揺してしまって、何をどうしたら良いのか迷いますよね。
なので、できるだけ電話の横やベッドの横に
を書いたものを置いておく、貼っておくと良いですね。
また、110番や119番に電話する時は、番地や状態を聞かれるのですが、慌ててしまって自宅の住所が出てこないことも多いので、緊急電話用に、番地や場所の説明などを明記したものをおいて置くことも大切ですね。
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私は中学生の部活動で始めた楽器の演奏がきっかけで、大学も音楽を勉強しました。
私も大切なパートナーである楽器を持っています。
今はあまり演奏することがなくなったのですが、それでも他の持ち物のように整理をしたり、処分をしたりすることはできないもの。
しかし!楽器をお墓に持っていくことはできないわけですよねぇ・・・
先日エンディングノートを書きながら「楽器は最終的にどうなるんだ?」と考えました。自分がこの世を去った後、家族にはその楽器が必要な人もいないし、どうしよう?
かといって、自分がいなくなった後に宝物を処分されてしまうのも辛い。
う~~~~~ん。
どなたか必要としてくださる方に譲れるのが一番ですねぇ。
だとしたら、早く探しておかなくては・・・
大切なもの、誰に譲りますか?
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あちらこちらで自己啓発セミナーが開催されていたのは、数年前。少し下火になったように見えますが、実は手法が少し変わっただけで、意識高めの男女が集まる自己啓発セミナー全盛期よりも、今の方が関心を集めているかもしれません。
セミナー全盛期は、ちょっと高級なホテルのラウンジやセミナールームで、ちょっと意識高めの綺麗な格好をした人たちが、参加者よりもちょっとだけ情報を先取りした講師から話しを聞く・・・そんなセミナーがあちらこちらで開催され、そこで何を学ぶか?よりも「自分がその場にいることに満足する」という、なんとも不思議な状態をよく見かけました。
先ほど「今の方が関心をあつめているかもしれない」と書きましたが、正しくは「誰でも、気軽に、どこでも参加できるようになった」というのが正しいかも知れません。実は私も、以前は地方から都会に「特別なセミナー」とやらに出かけたことは、一度や二度ではありません。地方に住んでいるとセミナー開催も少なく、どうしても都会にでかけて参加することになってしまいます。
が、今はどこにいても、いつでも、動画で様々な情報を入手できる時代。ちょっと検索すれば「○分でわかる△△」など、以前なら大枚叩いて参加したようなセミナー内容を無料で入手できるようになりました。本は読む時代から聞く時代に変化しつつあり、時間がないから読書はできないと言っていた人たちも、本を読み上げてくれる機能を使って移動中でも、ストレッチしながらでも、本を読んで(聞いて?)います。それでも時間がない方には、本を数分で要約して解説してくれるようなまとめ動画も沢山あります。
実は私も、これらを利用するようになりました。
時間を作って本を読もう
時間を作ってセミナーを受講しよう
時間を作って・・・
いやぁ、時間できますかね?なかなかできないですよね。私もこれらの時間の捻出に苦慮します。
そして次に陥るのは
時間を作るためにやるべき○○
上手な時間の使い方
など、時間管理術を学ぼうとしてしまう。しかし、これって「時間を作るため」に大切な時間を費やし、余計に本を読む時間がなくなるということにもなります。
そんな堂々巡りの中で出会ったのが「ながらでできる」という方法でした。もちろん、要約された本を100冊読んでも(聴いても)、本当に本を100冊読んだことにはならないでしょう。要約仕切れなかったところに、自分に大切なヒントがあるかもしれません。要約で聴けば、内容を違った捉え方をするかもしれません。
それでも「いつか時間ができたら」と本を読めないでいるよりも、まずは読みたい本の概要を知ることができます。要約を聞いて「もっと知りたい!」と思えるほど面白ければ、時間を作って読みたくなるかも知れません。そうなればなんとか時間を作るでしょう。「時間を作ろう」ではなく「時間を作りたい」と思えば、忙しい毎日の中でも時間を作るために行動します。
この「ながら」で読書やセミナーに参加しながら気づいたこと。それは
そうか!エンディングノートだってながらで、隙間時間でいいんだよね
ということ。
エンディングノートを書こうとして断念する、エンディングノートが書けないという方の理由の多くは「時間がない」というものです。「大切なことだから、落ち着いて時間がある時に書こう」と思っていると、先ほどのように「時間がない」問題に陥ります。
時間がないから書けない
この理由を聞いても、エンディングノートは書きなさい!と強要するものでもありませんし、書かなければ天罰が降りますよ!というものでもありません。ただ「書いておけばよかった」「書いておいて欲しかった」というのも、残された家族や大切な方の声として多く寄せられるものです。ということは・・・
時間がないから、きちんと書きたいから、しっかりと時間をとって書こうと何も書かないよりも、とりあえず必要なことだけをメモしておく、書き留めておくことの方が大切だと思いませんか?隙間時間に、何かをしながら、思いついたらメモをする。大切なことに気づいたら書き留める。内容よりも完成度よりも、まずは「自分の気持ちを書く」こと。
今は読書やセミナー以外にも、ダイエットや掃除も「隙間時間」を活用し「ながらでもできる」が注目されています。エンディングノートも終活も、忙しい毎日を送る皆さんだからこそ「隙間時間」を活用し「ながらで」できれば、気軽に始めることができますよね。
エンディングノートも自己啓発も、隙間時間を活用して「まずはやってみる」ことが大切ですね。
皆さん、日々の生活の中で「誰かに気持ちを伝える」ということをしていますか?
「本当の気持ちを聞いておけば良かった」と思ったり「聞いておけばよかった」と思うのは、死後や自己の意思が伝えられなくなった時だけではありません。
まだ一人で食べることも、トイレに行くこともできるけれど、一日中何もすることがない、、、と日々を楽しむことができない、ただただ座ったり寝たりして一日をやり過ごしている。介護に関わる人なら「介護サービス使って、デイサービスを利用するのがいいですよ!」なんて、勧めてくださるのでしょうか。
どこかで会って話しても、まさか認知症が進んでいるなんて思えないだろう認知症初期の人。全てにサポートが必要なわけではないけれど、本当は何に悩み、何がしんどいのだろう。何に不安をいだいているのだろう?
こんな風に「その人の本当の気持ち」とか「その人がやりたいこと」というのは、状況によって変わるります。そしてその人の性格によっても変わるわけで「こうなったら聞いておく必要がある」とか「この時期までには聞いておいた方がいい」というものではありませんね。
人は誰でもオギャー!と生まれた瞬間から、人生の最期(END)に向けて進んで(ing)います。だからこそ、自分の意思が示せるようになったら、自分はどんなことがしたくて、どんな風に生きたいのか?を考えることは大切ですよね。
子どもなら「将来○○になりたい!」と周りの人に宣言することも、成人して今後の人生設計を立てたり、保険に加入する際にライフプランニングを立てることも「自分の気持ちを伝える手段」ですね。
エンディングノートや遺言書、ACP(アドバンスケアプランニング)というと「特別なもの」と構えがちですが、その時々で何度でも書き換え可能なのだから「その時」の気持ちを「その時々に」書けば良いのです。
子どもの夢が毎年変わってしまうように、ライフプランは何度でも変更するように、少しでも体調や生活環境に変化があり、気持ちが変わったら「いつでも書き換えればよい」のです。
子どもの夢が毎年変わっても、ライフプランを毎年立て直しても、怒る人はいませんよね。
エンディングノートや遺言書、ACPも同じ。毎年書き換えても、怒る人なんていないのです。
それでも構えてしまう!という時には、改まって書くのではなく、日常使いの手帳でも、家計簿でも、お薬手帳でも、その時の気持ちをちょこっとメモに書く。そんな日常の生活の中に「自分の気持ちを伝える」習慣を作っていきませんか?
「気持ちを表現する、伝える」ことが特別なことではなく日常になったなら、自分も大切な人もいつも笑顔でいられるはず!
書き初めに悩んでしまう方やどんなもの?と思われている方におすすめ!
★エンディングノートの書き方に関する質問に答えます
https://coconala.com/services/1765073
この度の豪雨による被害に遭われたみなさま、お見舞い申し上げます。
広島県福山市内は、ほぼ水が引いて市内に限っては車で移動が可能になっています。しかし、山が崩れて道が寸断されている地域はまだまだ多く、東西の主要幹線は大渋滞ということもあります。
今日は心配した雨もほぼ降りませんでしたので、浸水被害にあわれたお宅も水が引いて掃除をされていました。
しかしとても気になることがあったので、これまで水害の復旧作業などをおこなってこられた支援チームに聞いてみました。
表面的に掃除をして終わっていませんか?
床下浸水だから、まぁ玄関先を綺麗にして水で流して・・あとは自然に乾燥するでしょ。
というのは大間違いです!
床下は乾燥しないだけでなく、水害の後の乾燥を十分に行わないでいると、カビの温床、培養してしまうのです!
健康被害が起こる、最悪の場合は住むことができなくなるのです!
暑いですが、必ず長靴を履き、できるだけ皮膚を覆うようにして雑菌からの感染を防ぎましょう。
床下・床上浸水に関わらず、畳をあげて中をしっかり乾かす必要があります。
今回のように大量の雨が降っていると、かなりの量の水分を地面が吸っています。乾いたように見えても表面だけ・・ということもあります。
今はまだ雨が多いので、連続して晴れる日が少ないかもしれませんが、
しっかりと乾かしてください。
床下の消毒に使用しますが、注意が必要です。
ホームセンターで購入できます。
昔は畳の部屋であれば、畳をあげると床下が見えていましたが、今はフローリングで剥がすことはできません。
また、床下浸水ははっきり見えないので、そのまま自然乾燥に頼りがちです。
しかし、床下は自然乾燥する前にカビが大繁殖!カビの温床になってしまうとのこと!
床下に大量のカビが繁殖すると、住んでいる人に健康被害が出たり、ひどい場合にはその家に住むことも難しくなってしまいます。
大変ですが、床下の乾燥は必ず行いましょう!
①点検口から潜ります
※潜る際にはこのようなつなぎを着用すると良いです。タイベック防護服1,000円前後
経験者からのワンポイントアドバイス!
上下別れている雨具などで代用する場合は、上着をズボンの中に入れ上下が離れないようにガムテープでぐるぐる巻きに!でも、やはり繋がっているものがベストです!とのこと!
②送風機などを使って風を送りながら乾燥させます。
※送風にはこのような送風機があると便利ですが、現場で使っておられるものをお借りするのもあり?
もし女性だけ、高齢の方でだけでできない!という場合は、無理をせずボランティアさんを頼みましょう!
近隣の社会福祉協議会が運営するボランティアセンターなどに問い合わせてみてくださいね。
こちらでも随時情報を発信します。
この度の広範囲にわたる豪雨災害で被害にあわれたみなさま、お見舞い申し上げます。
当協会の事務局がある広島県福山市でも、これまで経験したことがないような浸水被害、土砂崩れや崖崩れにみまわれました。
これから水が引いてきて現状を目の当たりに戸惑う方も多いと思います。
まずは「今すぐ準備、やること」をこちらにアップします。
昨年の九州北部豪雨災害で一番被害のひどかった福岡県朝倉市で活動されているみなさま、防災士の方からの情報をこちらでシェアします。
色々あるのですが、まずは準備しましょう。時間も体力も必要になりますので、慌てず準備しましょう。
スコップは先の尖ったものより、四角い溝そうじ用を!
あとこちら!
デッキブラシ
水が引いて砂が乾いてくると。これを動かして大量の砂埃が舞います。
必ずマスクをつけてください!
それと、動いているとおろそかになりがちですが、浸水の時に流れてきた土砂は非常に不衛生です。
蒸し暑い時期は感染症も怖いです。弱ったからだ、高齢者の方は特に気をつけたいもの。
触った後の手の消毒はこまめに行いましょう。除菌ウェットテッシュが役立ちます。
目先の水に捕らわれがちですが、排水経路が優先になります。
家の回りの側溝水位が高ければ 、排出しても戻ります 水位が低いのであれば、敷地内のマスを掃除して、側溝えの水路を復旧してから 屋内の水出しをします。
それから洗浄 。
畳やじゅうたんなどをかわかし、できるだけ風通しの良い状態にして、乾燥優先に。
その後消毒です。
※九州北部豪雨災害時に復旧活動に当たられた方からのアドバイスです。
PDFはこちら
水害にあった時
あめが上がり、復旧作業が始まると猛烈な暑さもやってきます。
復旧作業時は、必死になりすぎて水分補給がおろそかになりがち。
災害復旧時に熱中症になって倒れる方が多いので、とにかく水分補給はこまめに行いましょう!!
災害時には状況が刻々と変化します!
その場で「今はこれ!」「今度はこれ!」と、必要なものは刻々と変わります。
まずはその場の状況を把握し、下記の団体が支援しています。支援団体連携もありますので、何かありましたら問い合わせてみてください。
西日本豪雨を中心に支援活動を行なっている団体
西日本豪雨で甚大な浸水被害を受けた広島県三原市本郷町船木地区で支援活動を続ける団体
こちら以外にも、何かございましたら、当協会にお気軽にお問合せください。
昨年10月に尾道シネマさんで観た時から「絶対自主上映会を開催して、一人でも多くの方に観ていただきたい!」と思っていた”ケアニン〜あなたでよかった〜”。
念願かなって、福山市新市公民館で上映させていただくことになりました!
新市公民館さんでは、2017年4月より毎月1回のコミュニティカレッジ「らくらく終活」の講師や、新市公民館さんの公民館便りにコラム「みんなの終活」を寄稿させていただいております。
地域に密着した公民館というのは、車を利用しない人、インターネットを利用しない人には、
貴重な情報収拾・情報交換の場
となっています。
エンディングノートや終活講座も、歩いて行くことができる場所で開催してくれるから聴きに来たとおっしゃる方が多く、当協会でも公民館や地域のコミュニティ会館などの講師ご依頼を積極的にお受けしております。
また、新市公民館さんでは、毎年「シニアライフセミナー」を開催されていますが、昨年度より「認知症」に特化して連続セミナーを開催されています。
こうして地域で認知症への理解を深めることは、自分が、家族が認知症と診断されても、住み慣れたまちで安心して暮らすことに繋がります。
2018年度も引き続き「認知症」に特化したシニアライフセミナーを開催されることになり、今回のケアニンの上映会をセミナーへの導入として、さらに気持ちを高めて行きましょう!ということになりました。
ケアニン〜あなたでよかった〜は、実際に存在する神奈川県藤沢市の介護施設あおいけあの小規模多機能型居宅介護「おたがいさん」がモデルになっています。
新人介護福祉士 大森君が人のおばあちゃんとの出会いから、様々な経験と葛藤を繰り返しながらしっかりとした”ケアニン(ケアする人)”に成長していきます。
ここだけご紹介すると、介護福祉士さん向けの内容?と思われそうですが、私のオススメは家族の変化です。
母親の認知症が進行して行く中で、受け入れられない息子。
素直におばあちゃんと向きあう孫娘。
どこでもありがちな「認知症について正しい理解がなされていない、情報を得ていない家族の姿」が、ケアニンとの出会いから認知症を理解し、母親への接し方や気持ちが変化していきます。
映画のモデルが実在する施設での日常ですから、映画やドラマにありがちな「それはドラマだからでしょ」という仲の良い家族の物語ではなく、みなさんもこれから経験するであろう未来を観ることができますよ。
日 時:2018年6月9日(土) 13時30分〜16時
会 場:福山市新市公民館
福山市新市町
鑑賞料:300円(チケットのお求めをオススメします)
今回は100席限定!です。もう少しお席がございますが、できるだけ早めにご連絡ください。
お問合せ、お申し込みは下記のお申し込みフォームからお願いいたします。
みなさんは「死生学」をご存知でしょうか?
「死への準備教育」を目的とする極めて学際的な学問である。 死生学は尊厳死問題や医療告知、緩和医療などを背景に、1970年代に確立された新しい学問分野である。(ウィキペディアから)
上記に「新しい学問分野」とあるように、日本でも多くの大学で「死生学」を学ぶことができるようになりました。
大学で学ぶこと以外にも、2015年からは一般の方も参加することのできる「死生学カフェ」が開催されています。
死生学カフェでは、死生学という学問について一方的に学ぶということではなく、
生と死にかかわる多様な課題について
出会いと探求の姿勢を大切にしながら
対話を試みる場
という部分に、私は非常に興味を持ちました。
私自身、生きることや死ぬことについて「こうである」という一つの正解があるわけではなく、その人それぞれの中にあるものが大切なのではないか?と思っています。
ですから「対話を試みる」という部分には興味を持つと共に、そのような場でみなさんのお話を聞いてみたい!とも思っておりました。
ただ、死生学カフェは静岡で開催されており、なかなかすぐに参加が難しい(広島県在住なのです)と思っていたところ「広島で開催されますよ!」と情報をいただきました。
主催は広島県福山市に本社のあるリミット通販株式会社さま。
実はこちらの会社は、当協会事務局のご近所にも社屋があります。とはいえ知り合ったのは全然違う場所だったのですが、ご近所さんということもあり、情報交換をさせていただいております。
そして今回の死生学カフェは、代表取締役の有木さんの強い想いが伝わり広島で開催されることになったとのこと。
これは伺うしかありません。
今回の死生学カフェinヒロシマでは、死生学の第一人者 竹之内裕文静岡大学教授と金子稚子さん(ライフ・ターミナル・ネットワーク代表)をお迎えしての対談と、絵本「かないくん」(谷川俊太郎作、松本大洋絵)を用いたワークショップという内容。
静岡で開催されている死生学カフェのように、参加者さんもグループにわかれて、それぞれに対話ができる構成だそうです。
「かないくん」は、死をテーマにした本。
死ぬとどうなるの?
誰もが一度は抱く疑問です。そして生きている限り永遠のテーマなのかもしれません。
この「かないくん」を、同じように死に向き合う人たちと語り合うことができると思うと、今からとても楽しみ(不謹慎???)です。
みなさんもご一緒に、対話してみませんか?
私が会いたい方のお一人です。
私の終活・エンディングノート講座では、かならず金子哲雄さん、稚子さんの書かれた2冊の本をご紹介しています。
金子哲雄さんの「僕の死に方エンディングダイアリー500日」では、まさしくご自身の最期を、そして残される最愛の人を想い準備する様子や気持ちが表現されています。
エンディングノートを書くということ、終活をするということについて学ぶことが多い本です。
そして稚子さんの「金子哲雄の妻の生き方 夫を看取った500日」では、エンディングノートとも言えるダイアリーを受け取った、最愛の人を看取った側の気持ちが綴られています。
死に向き合い、生きる最愛の人をどのような気持ちで支え、看取るのか。
2冊の本を読むことで、書く側、受け取る側のどちらの気持ちもわかるので、いつもご紹介させていただきます。
金子稚子さんは、現在はライフ・ターミナル・ネットワークを立ち上げ、ワークショップや講演会など積極的に活動されており、テレビでもよく拝見します。
また、現在では厚生労働省による「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」の構成員としても活躍されています。
本をご紹介させていただいているし、ぜひともお会いしたい!とずっと思っておりましたので、今回「死生学カフェinヒロシマ」でお会いできることを楽しみにしています。
2018年4月15日(日)に広島市内で開催される死生学カフェinヒロシマは、もう少し残席があるそうですよ!
今回は葬儀・供養関係者さまということですが、そのほかにも介護職の方や看護や医療に関わる方、終活に関連したお仕事をされている方など、お仕事として「死生観について考えたい、学んでみたい」という方なら、参加可能とのこと。
広島でお二人が揃ってお話をされる機会は本当に珍しいので、ぜひこのチャンスを逃さないでくださいね!
私も他の会員さんと一緒に参加いたします。
お申込みはこちらからどうぞ!
http://www.limit-tsuhan.com/2018cafe/
会場でお会いできることを楽しみにいたしております。
終活もエンディングノートも「いつから?」「どのタイミングで?」「何から?」が最大のテーマ。
これはごくごく一般的なこと。
少し終活に興味を持っている人は
エンディングノートを買ってみたなど、行動には移してみたけれどそこで止まってしまっている。
どちらにしても、今日や明日やらなければ生きていけない!というような、生きる中で「重要事項」とまではいかないものですから、どうしても後回しになってしまいますね。
そこで、特定非営利活動法人エンディングノート普及協会では
今日から始める終活・エンディングノート
をテーマに、様々な活動をしています。
その一つの取り組みが
終活箱®︎
特別仕掛けがあるわけでもなく、とてもおしゃれなわけでもない。でも「今日から始める」にはピッタリの箱なのです。
終活箱®︎ってなぁに?という方は、ぜひこちらをご覧ください。
2月と3月に2回連続講座として開催した”40代女性のためのエンディングノート書き方講座”に参加してくださったみなさま。
終活箱®︎はこんな、なんの変哲もないお道具箱です。
中身については、先ほどの記事を読んでいただくとして、2回目に来られた参加者さんの一人がこのようにして持って来られました。
お分かりになるでしょうか?
ゴムバンドでとめてある!しかもこれ、利用者さんの手作り!
で、これを見た他の参加者さんも「これいい!これほしい!」「持ち運ぶとき、パカパカしてどうしようかと思っていたのよ!」と食いつく、食いつく!
そして、皆さんより食いついたのが開発者の私でした〜(笑)
ぜひともこれを作って欲しい!とお願いしました。
というのも、作ってこられたのはハンドメイド作家さんの田中裕美さんだったから!
そして、終活箱®︎とコンビを組むなら、生地にはやはりこれを使って欲しい!
いただいたけれど、大きなシミがあったり擦り切れていたり、着物としての役割は十分に果たしている。
でもどうしても捨てることのできない着物たち。
これを使って欲しいのです!と裕美さんにお願いして・・・
できました!生まれ変わりました!
なんと、それぞれの生地に合わせて少しずつ幅も変えてある!着物が生まれ変わって、また新しい役目を担ってくれます。
「生地にも個性があり、とても勉強になった」とおっしゃってくださった言葉に「あぁお願いしてよかった」と、改めて思ったのでした。
実は、ゴム以外にもこんなアレンジを施してくださっていました。
同じくハンドメイド作家さんですが、作る以外に「描く」こともとってもお好きな作家さん。
いつもいいな〜と思っていたのですが、終活箱®︎にも描き描き。
実はこれで完成ではなく、ここからどんどん広がっていくのが彼女流。どんな風に広がりを見せるのか、とっても楽しみです!
終活箱®︎は今日から終活を始める、エンディングノートを書き進めていただくために開発したものですが、使いながら「自分色」になっていくのが楽しいのかな?と思っています。
生活していれば日々変化があるように、終活箱®︎も中身も、どんどん使う人の生活に合わせて変化していく。
エンディングノートは一度書いたら終わりじゃない。
だから、いつでも、何度でも開けたくなる箱になってほしい。
みなさんの終活箱®︎はどんな宝箱になるのでしょう?
終活箱®︎についてのお問合せは以下のフォームにご入力後、送信してください。