特定非営利活動法人

エンディングノート普及協会

カテゴリーアーカイブ 延命治療

著者:赤川 なおみ

延命治療はイヤ!そのとき家族は@あさイチ

朝の情報番組「あさイチ」では、よく終活関連の特集をしています。

今朝は「延命治療」だったのですが、その中でも難しい「延命治療はしない」と本人が言ったときの、家族の対応や気持ちについてでした。

私が終活セミナーでよくお話しすることですが「延命治療をしたくない!と思っている方は、必ず事前に家族に伝えてくださいね」ということ。

延命治療については、セミナーでも「延命治療はしない」という方が99.9%です。

医療が進み、どんどん寿命が長くなる中で、みなさん「管を着けてまで生きていたくない」とか「長くなるのは家族に負担がかかる」ということで、延命治療を希望しない方が増えているように思います。

それほどまでに、99.9%もの人が「延命治療はしたくない」と言っているのに、それでも多くの方が延命治療をしてなくなるのはなぜなのか?ということです。

私が入院している間にも、100歳になるおばあちゃまを「もっと生きてほしいんです」と大変な治療を懇願する80代の息子さん夫婦の声を聞きました。

ご本人は本当に、これ以上の治療を望んでいるのだろうか?

看護師さんが触れるたびに「痛い」と訴えている状態で、これ以上痛いことを続けてほしいのか?

私はやり取りを聞きながら「やはり、延命治療をするのは家族なんだよなぁ」と思ったものでした。

テレビでもありましたが、病院側は本人の意思よりも家族の意志を重視します。

それは、亡くなった後の「病院が何もしなかった」という、家族や身内からのクレームを防ぐためです。

いくら本人の意思だったとしても、死人に口なしです。

生きている家族や身内が「病院が」「医者が」と言い出したら・・・

情けないことですが、えらいこっちゃです。

とは言え、判断する立場になれば「これで良いのか」「本当にこれで良かったのか」の繰り返し。

しっかりと本人が「延命治療はしない」と意思表示をしていたとしても、いざ決断する時には、やはり苦悩するでしょう。

それは、人の人生を左右することですからね。どんなに準備していたとしても、多少の同様や悩みはあるはずです。

また、その判断をどの段階でするのか?という、状態にもよりますから。

やはり「延命治療はイヤ!」と言われたら、その時あなたはどうするでしょう?というのは、永遠の課題かもしれません。

それでも、テレビの中でも「話し合うことができて、お互いの気持ちを確認することができて良かった」と言われていたように、この「話し合う」「気持ちを確認し合う」ことが大切なんですよね。

その一つのツールがエンディングノートなのだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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著者:赤川 なおみ

終末期を自分で決められない? 日本の理想と現実

 
エンディングノートの書き方講座で他県版に記入して頂く際、介護の場所の希望のところでは「介護施設」と答える人が多いのですが、本心は「自宅」という方がほとんど。

本心を書けないのは「家族や大切な人に迷惑をかけたくないから」。

自宅での介護はてがかかり、迷惑をかけるというイメージからくるものでしょう。

そして日本では、終末期についての「本人のどうしたい」という意思よりも、医師や家族の「こうした方が良い」という意見の方が強いという現実。

講座でお話しをさせて頂く時に「延命治療をしたくないと言う方は、しっかりと意思を表示して伝えておく事が必要です」と何度もお伝えします。

「そこまで言わなくても」と思う方が多いのですが、調査によると「治療や看取りの方針を決定する人」という項目では、「理想は本人」が75,6%に対して「現実に本人となる」は14%(国民長寿センター研究報告書より)と理想と現実のギャップの大きさがはっきりと出ています。

日本では、医師も家族なども「本人の意思」よりも「生存時間」重視。

少しでも長く生きることが第一条件となることが多いのです。

その次に大切にされるのが「家族の意向」。だから本人は延命治療を希望しないのに、最終的に管に繋がれるわけです。

海外では「管に繋がれて少し長く生きることよりも、人として食べたり意思を伝えられる事の方が大切」と考える人が多いので、日本のように延命治療は進まないのだそうです。

福祉大国デンマークでは、医療従事者でさえ「延命治療はみたことはある」というくらい稀なことなのだそう。

だからと言って、家族がつきっきりで終末期を過ごしたり、介護のために家族が自分の生活を犠牲にするということはありません。

デンマークの高齢者の9割近くが夫婦又は単身で生活しているというのですから、日本の「一人は不安だ」という終末期とは違います。

確かに制度の差もあるので、今の日本で安心して単身の生活ができる場合ばかりではありません。

それでも、これからは政府も「在宅介護・在宅医療」をすすめていきます。そんな時、日本のギャップはどのように埋めていくのでしょう?

家族想いの優しい日本人。

そうでしょうか?それも否定はできませんが、現実問題「先生に決めてほしい」と治療について家族が決断できないので、そのまま延命治療になるというケースも珍しくありません。

「自分らしい生き方」「自分らしく生きる」と自分を見つめ、自分で決めた人生を歩む人が多くなったのに、最期はまるなげ?はやめたいもの。

自分らしく生きたい方、最期まで自分らしく生きる方法を考えてみませんか?
自分らしさ発見!ジブツタ(エンディングノート)活用法

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著者:赤川 なおみ

延命治療をしないと決めた家族の苦しみ

こんにちは。
「記念日にはエンディングノートを!」を推奨する、エンディングノートナビゲーター・エンディングノートの書き方講師の赤川 なおみです。

延命治療をするかしないか?

医療の技術が進み、昔のようにご自宅で最期を迎える方よりも、病院で最期を迎える方が多くなりました。

救急医療が発達し「何かあったら119番!」が定着したこともあります。

とはいえ、このことで多くの命が助かることは間違いなく、医療の進歩はありがたいことです。

しかし、一方で「延命治療」という文字通り「生命を延長する」ための医療。この治療が今色々と問題になったり、見直されたりしています。

エンディングノートの書き方講座をさせて頂く時、エンディングノートや終活のお話しををさせて頂く時、この項目はどうしても長くなります。

エンディングノートを記入する本人は「延命治療はしない」とほとんど書かれます。

それは「残される大切な人が介護で大変にならないように」という想いからです。

しかし、家族はどうでしょうか?

本人の希望でもあり、多くの人が「延命治療なんてするもんじゃない」と口々に言う。

ということは「しても良いことはない」ということですよね?みんなそう思っているはですよね?

しかし、見守る家族や、医師に延命治療はしませんと答えた家族はどうか?

ほとんどの方が「やはり呼吸器を付ければよかったのではないか」「何かすればもう少し生きられたのではないか?」「もっと生きたかったのではないか?」と悩み苦しむのです。

「だからエンディングノートで延命治療はしないって書いておくんでしょう」と思われますよね?

もちろん、その人の意思がわかれば、家族や大切な人も医師から「延命しますか?」と聞かれた時に判断はしやすくなります。

それでも、悩み苦しむ。

じゃどうすればいいの?ですよね。

ぜひ書いたらお話ししてください。
ご自身がどのような気持で「延命治療をしない」と書いたのか。

気持までしっかりと伝えてあげてください。

そうすれば「あんな風に書いていたけど、本当はしてほしかったんじゃないのか」と悩むことは少なくなるはずです。

そして「書いておいても家族は悩む・苦しむ」ということを知ってください。

エンディングノートや終活に悩んでしまったら・・
お気軽にエンディングノート普及協会へ。

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著者:赤川 なおみ

チーム・バチスタで尊厳死について語る

こんにちは。
エンディングノートナビゲーター、エンディングノート作成講師 赤川 なおみです。

フジテレビのドラマ チーム・バチスタ4で「尊厳死」「尊厳死宣言」についての話がありました。

尊厳死は「人間が人間としての尊厳を保って死に臨むことである。」とウィキペディアには書かれています。

そして「尊厳死宣言」は「本人が自らの考えで尊厳死を望み,延命措置を差し控え、中止してもらいたいという考えを書面にて宣言するもの。

尊厳死宣言には、
・公証人の面前で宣言し、公証人がこの事実を公正証書として記録するもの。事実実験公正証書の一種。
・日本尊厳死協会が発行する「尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)」
の二種類があります。

ただ、どちらにしても書いてはいても、その時に対応する医師の全てが受け入れ、尊厳死を認めるわけではありません。

それでも、宣言書があれば9割以上が意思を尊重されるというデータもあります。

これもいつも講座でお話しさせていただくのですが「私は延命治療は望まないから」とだけ言っておくのでは弱く、本当にそうしてほしいと思えば、遺言書と同じくきちんと書いておく必要があります。

そして、書いたらやはりご家族や近親者にその意思を伝え、よくお話しをすること。

簡単な問題ではありませんが、終末期医療が見直されるようになり、エンディングノートで自分の思いを伝えるようにもなりました。

エンディングノートも「書くだけ」では何も解決しません。

「書いたら伝える」「書いたら話し合う」そのための第一歩がエンディングノート。

今一度しっかりと考えてみませんか??

「ちょっと助けて!」そんな時には

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著者:赤川 なおみ

延命治療の考え方

こんにちは。

「夢をあきらめない生き方」「最期まで自分らしく生きる!」をエンディングノートを通してナビゲートする赤川 なおみです。

エンディングノートに書く内容の中に「延命治療について」という項目があります。

これまで延命治療には「人工透析」も入るということをお伝えしたり、延命治療の判断については案外もめますよということをお伝えしてきました。

昨日のグループ作成講座でも、この「延命治療」については、みなさん気になることだし、エンディングノートに書きたいことだと言われました。

しかし、その判断基準は様々。

「医師から『延命治療をしますか?しませんか?』と聞かれる状況=手は尽くしたが、ほぼ助かる見込みがない」ということ。

・それでも万が一の奇跡を信じて治療を続けてほしい
・残りの時間をできる限り有意義に過ごしたい

そのほかにも、人それぞれ思うことがあるでしょう。

この選択を考えるにあたっては
「自分の最後の迎え方」をどうするか、しっかり考える必要があるということです。

余命を宣告された時、薬や治療で3ヶ月の命を半年まで延ばしてでも、少しでも長く生きたいのか。

治療をしても3ヶ月しか違わないのなら、ベッドの上で天井をみて過ごすより、自宅で好きなことをして過ごしたいと思うのか。

「管を繋がれてまで長生きしたくない」というところだけでなく「最期まで自分らしい」とはどういうことなのか?を今一度考えてみてください。

エンディングノートに「延命治療をする・しない」を記入する。

これは、単に意思表示をするということだけではなく、こうして「自分の生き方」「最期まで自分らしく生きるとは」ということを考えるきっかけにもなるのです。

みなさんは、延命治療についてどう考えますか?

エンディングノートに関するご質問は
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著者:赤川 なおみ

まずは正しく知ることから 「延命治療って?」

こんにちは。
「夢をあきらめない生き方」「最期まで自分らしく生きる!」をエンディングノートを通してナビゲートする赤川 なおみです。

「延命治療?絶対しない!」
「管に繋がれてまで生きたくない」

これはよく聞きますよね。読者のみなさんはどうですか?

では、腎臓が弱ってしまい「人工透析」しかありませんといわれた時、「それは結構です」とどのくらいの方が言うのでしょう?

実は延命治療とは「人工呼吸」「人工栄養」「人工透析」のことだそう。みなさん「人工呼吸」のことをイメージして「しない」と言ってないのかな?

延命治療は「この処置をしなければ命の保障がありません」というときに行いますよね。確かに人工透析も、透析をしない=命の保障がないのです。

人工栄養もそうですよね。自力で食べて飲み込むことができないから管で栄養を送る。体に栄養が入らなければ命の保障はない。

人工呼吸同様、人工栄養も人工透析も、みなさんが「NO」と言っている延命治療。

そうなると、少し考えたくなる方もいらっしゃるはずです。いくらなんでも「透析さえすれば生活できる」のに「延命治療だ」と言われたら・・・

家族も、大切な家族が「透析はしない」と言ったらどうですか?
「透析さえやれば、家で生活できるんだよ」「がんばってやろうよ」って言いたくなりませんか?

ですから「まずはみんなが正しく知ること」これが一番大切。

そして、自分の命や残される家族の気持ちをしっかり考え、話し合ってみることが大切ですね。

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著者:赤川 なおみ

結構もめるんです!  延命措置をするかしないか

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人のおとちゃんです。

延命治療について、本人の意思がはっきりしている場合はその意思を尊重するべきなのですが、本人の意思がわからないとき、家族や親族で問題が多いものです。

今回の友人のケースを紹介させていただきます。
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介護や看病、延命措置について
→家族と親族の意見が食い違って混乱するといったことが頻繁にあります。

わかりやすい例を出すと、
「延命するかしないか」について。

ずっと看病してきた旦那さんに病院でもしものときが起こった時に、主治医から最初に聞かれるのもこの質問です。

事故で運ばれてきた場合は家族の意思を聞くまでもなく措置をします。救急医療では、まずは命を救うことが最優先。

しかし、なおらない病気(末期ガン)の場合には、家族の意思を聞いてから延命するかしないか決めているとの説明を受けました。

父はがんで手術もしましたが再発。
余命を宣告されました。

私と母親の意見としては、
「延命しない」
ということで一致。

親族の意見もとりあえず聞いておいたほうがよいということで、父の兄弟の長男の方に、「延命はしない」ということを伝えました。

自分のケースの場合は、親族も承諾してもらったので混乱はなかったのですが、
隣の患者さんのところは、叔父や叔母が反対しているので家族さんも困ってらっしゃいました。

ずっと看病して病状なども知っている家族、たまにしか来ない叔父や叔母の意見。
延命をするということは、看病する人の負担は重くなるということ。

そして、色々な医療機器に繋がれながら生きていくことが本人にとって、本当に幸せなことなのかどうか・・・

しかし「延命しない」
このことを宣言した時から、もしものときは最期に立ち会えないかもしれないという事も覚悟しなくてはいけません。

ここはしっかりと一番そばにいる家族の意見、意思を尊重してあげるように親族の方もしてあげて欲しいと思います。

そして、できることなら「自分の最期は自分の意思で」ということ。もしものときに備えて自分は延命治療を希望するのか、しないのか。

この意思表示をはっきり伝えておくことこそ、残される家族、大切な家族に辛い思いをさせない方法なのだと思いました。

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最期に立ち会えるかどうか、これは残された人にとって大きなことです。
最期に立ち会うように行動できるのも家族だけなのも事実。

家族でしっかりと話し合い、基本的には家族の意見を優先する。

できることなら、本人の意思がわかって、そして家族で話し合って最善の結論を出せるようにしたいものですね。

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著者:赤川 なおみ

自分のことは自分で決める

こんにちは!
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人のおとちゃんです。

「延命措置をするかしないか」

とても大切な問題です。

突然倒れたり、事故にあったり、突然選択を迫られるということもあります。

病気で余命宣告をされ、選択を迫られることもあります。

本人の意思はどうなのか?わからない場合はどうするのか?

あなたは自分にもしものことがあったら、延命措置をするかしないか決めていますか?

意識もなく家族が「延命措置をしますか?」と聞かれる状態になった場合、家族が悩むことなく医師に「します」「しません」を告げる状態になっていますか?

この質問をすると
「そんなことまだ考えたことない」
とよく言われます。

しかし、今の世の中何が起こるかなんて誰にもわかりません。
いつもの道をいつものように歩いていても、事故に巻き込まれる時代です。

普通に生活していても、天災に襲われる時代です。

そででも「まだ考えられない」と言えますか?

自分の人生、自分の終わり方。
自分で考えておくべきじゃないかなって思います。

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