みなさんは
自立する
という言葉を聞いてどのようなイメージが浮かびますか?
- なんでも自分でできる
- 自分で生きることを完結できている状態
- 人に依存することなく生きていける
そんなイメージでしょうか?
子育てしていると、自立するというのは、学校を卒業して就職するとか、家を出て一人で生活するとか、そんなイメージもあります。
私も、つい先日までは
自立と依存
は、相反するものだと思っていました。
依存とは?
依存(いそん・いぞん)とは、
他のものによりかかり、それによって成り立つこと
と説明があります。
さっきのイメージはこの説明のように「他のものによりかかり」という、誰かに頼っている状態からきているように思います。
そして、もう一つ「それによって成り立つ」というところですよね。他の、よりかかったものによって成り立っている。
ようするに、自分では立てない、立っていられない状態ということでしょうか。
人の成長過程でも「ひとり立ち」できるようになるまでには、手足を使ってのハイハイがあり、物につかまって立つ「つかまり立ち」があり、どこかを持ちながら歩く「伝い歩き」という過程があります。
そして年齢を重ねると、逆戻りをしていきますね。
一般的には「自立する」「ひとり立ちする」と、自分で生きる糧を得て自分で生きていくというイメージになりますが、果たして自立したら、本当に一人で生きていけるのでしょうか?
自立とは?
では、自立とはなんでしょうか?
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと
自分の力で物事をやっていくこと。確かにそうかもしれません。
もう一つ興味深いのは「支配を受けずに」というところ。
こうやって改めて調べるまで「自分以外のものの助けなしで」というイメージはありましたが、「支配を受けずに」というイメージはありませんでした。
そうすると、依存している状態は、その寄りかかっている人に支配されている?ということ?
支配というと少し意味合いが違ってくるのかもしれませんが・・・
確かに依存していると頼れる良さはありますが、助けてもらうには
その人の都合やその人の考えに合せないといけない
と考えると、確かに支配されるという言い方も、納得できるかもしれません。
しかし、自立=誰にも頼らず自分の力だけで物事をやっていかなくてはいけない、ということでしょうか?
自立とは広く依存すること
先日、多世代シェアハウス「庚午のおうち」に見学に伺いました。
(写真は庚午のおうちで毎月開催される「庚午カフェ」のランチ)
その時に竹中理事長とお会いできたのですが、竹中さんから
自立は広く依存すること
狭く(一人に・1箇所に)依存してはいけない
というお話を伺って、衝撃を受けました。
あぁ、そうなんだ。これからの少子高齢化の中で、とても大切なこと!これだわ。
- 一人に、1箇所に頼るから、お互いにしんどくなる。
- しんどくなるから、頼るのを我慢してしまう。
- 我慢も限界に達してどうにもならなくなる。
悪循環とはまさにこのこと。
高齢の方には多いですが、最近の子育て世代にも感じています。
少しの迷惑、お互い様
この感覚が持てないのですね。
自分の生活で不自由を感じることがあれば、その部分だけお願いする。
少しのことだから頑張ってやるのではなく、少しのことだから、頼まれた人も、気軽に「いいよ!」と言える。
毎回じゃなく、何回かに1回だから、快く「いいよ!」と言える。
そうして、自分も生活に困らず、できることは自分で、できないことはお願いしながら生活するから「自立して」生活できる
竹中さんの
広く依存するんですよ
この言葉、私自身にも、私のこれからの活動にとっても「魔法の一言」でした。
竹中さんが理事長として活動する特定非営利活動法人もちもちの木には、そんな魔法がたくさん詰まっていますよ!