特定非営利活動法人

エンディングノート普及協会

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著者:エンディングノート普及協会

「看取りとは?」~さまざな立場の経験から~

2018年1月13日(土)広島県福山市にあるリム福山7階のものづくり交流館セミナールームで「看取り」をテーマとした講演会の3回目を実施いたしました。

この「看取り」をテーマとした講演会は、昨年の11月と12月にも開催しており今回は最終回の3回目。

これまでの2回では「介護現場での看取り」を、社会医療法人社団沼南会管理栄養部リハビリテーション部副部長で理学療法士の 森田 裕治氏のお話と介護福祉士さんを交えたパネルディスカッション、「医療現場での看取り」を福山で先進的に在宅医療専門クリニックとして在宅医療、在宅看取りを牽引しておられる、まるやまホームクリニックの丸山院長のお話と在宅医療専門クリニック看護師、訪問看護師、在宅薬剤師の3人のパネルディスカッションで開催してきました。

さまざまな立場の経験から語る

最終回となった今回は「家族の立場から」をテーマに、第一部を「看取り先生の遺言」著者奥野修司氏にご講演いただきました。

「看取り先生の遺言」は、終末期のがん患者のために在宅ケアのパイオニアとして2,000人を看取り、自らもがん患者として「看取る側から看取られる側」となった岡部健医師の、亡くなる日までの闘病の様子・遺言を奥野氏が聞き取りながらまとめ上げたものです。

第二部は我々、特定非営利活動法人エンディングノート普及協会のメンバーの初期立ち上げメンバーで、看取りを経験した3名でパネルディスカッションを行いました。

過去2回開催してきた「看取り」というテーマ。今までは「専門家目線」で行ってきましたが、今回は「家族目線」で行い家族側の想いなどを中心に取り上げて開催させていただきました。

第一部の奥野氏の講演では、奥野氏がこれまで様々な看取りの現場や、看取り先生の遺言のインタビューをしてこられた中から、写真を交えてわかりやすくお話ししてくださいました。

看取りにおける家族の覚悟と達成感

その奥野氏の講演の中でキーワードとしてできたのが家族側の「覚悟」「達成感」でした。

家族側の「覚悟」と「達成感」というお話を聞いた時、私は大事な人が余命宣告を受けた場合のことを考えました。

これから何十年もの間一緒に生活していくことが出来なくなってしまうということ、それは病気が原因として現実に起こってしまい自分が思い描いていた理想のプランよりも本人が亡くなってしまうのだという現実を受け入れる自分自身の「覚悟」、その亡くなるまでにしてあげられることや、してあげられたことへの自分自身の「達成感」、これがあれば家族の気持ちは満足するのだなという解釈をしました。

もう少し具体的に覚悟の部分を私の経験したことから伝えさせていただくと、私の理想としていたといいますかきっとこうだろうなという将来の像というのがありました。

それは、私自身が結婚をして子どもが生まれて、その子どもを自分の父親が抱っこしてくれる、また孫を囲んで孫の誕生日やお正月を一緒に過ごすということが自分の頭の中で当然としてありました。

その頭の中に当然にあった、訪れるであろう像というものが、私の場合は「ガン宣告(のちに余命宣告も受ける)」を医師から突然言われたことにより崩れ去ったのでした。

今の時代、宣告というのは患者本人が望んでいない場合を除き口頭で簡単に、また淡々とした口調で告げられるのだなとその時感じました。

しかしその時の私は、まだ今の医療技術があれば助かるだろうと思っていましたが、時間が経つにつれて父親の場合根治は無理なんだなと実感していきました。

その時に崩れ去ってしまった将来像は捨てて、父親が亡くなるという現実を受け入れました。

その後は、これからは父親とどうやって過ごしていけば良いのかといったことを模索し始めました。それが私にとっては「覚悟を決めた」時期だったと思います。

次に「達成感」についての部分ですが、たしかに「達成感」を家族が感じることができれば、気持ちの部分の負担は減るだろうと私も思います。

私の場合もその「達成感」を亡くなった時には感じていたのですが、ある出来事があり「後悔」へと変わってしまい、今でもそれが残っています。

ある出来事については第二部のディスカッションの内容の中で触れさせていただこうと思っております。

そのような家族側の「覚悟」と「達成感」のことを感じながら、第二部のパネルディスカッションへ入りました。

最期に後悔しないために

特定非営利活動法人エンディングノート普及協会の3名がそれぞれに経験した看取りについて、簡単に自己紹介を交えながらパネルディスカッションは始まりました。

私が「看取り」の経験を通して話をさせていただいたことは、祖父の看病(透析から始まり最後は肺がん)から始まり父親の看病(肝臓ガン)との掛け持ちになり、2人が亡くなるまで私がどのように看病してきたかについて話をさせていただきました。

その中で、先ほどの奥野氏の講演でてきたキーワードである「達成感」を感じていたけれども「後悔」に変わって、今でもその後悔の気持ちは自分の中でずっと消えずにあるんですと話しました。

その「達成感」から「後悔」に変わった出来事というのは、父親の病室を片付けている時に起こったのです。

父親がガン宣告を受けてから亡くなるまでの約2年の間は、病室でよく2人で話をする時間ができたので

「行きたい所はないの?」

「食べたいものはないの?」

という質問を父親に対ししていたのですが、いつも父親が言う言葉は、

「別にないなぁ」

という返答ばかりだったのです。

その時私としては「無いんだったらいいかぁ」というぐらいの軽い気持ちでいたために、さらに父親に対して「本当にないの?」「言ってくれていいんだよ」といったような深く聞くことなどもしませんでした。

そんな月日を過ごしているうちに父親との別れがきてしまいました。

父親が亡くなって病室を片付けている時、ベットの裏に付箋が何枚も貼られているのに気づいてそれを全て剥がしてみました。

そうすると、

「車」

「東京」

etc…

といった単語が弱々しい字で書かれてあったのです。

今となってはそれを父親がなんのために書いたのか答えはわかりません。

私としては「自分ができることはしてあげたから良かったな」と思っていたのですが、その付箋の文字を見て

「言い出せない環境だったのかな」

「もっとしっかり話しておけばよかったな」

という「後悔」の気持ちがうまれてしまいました。

そのような出来事があり、何かそういった終末期に関するようなことを話せるキッカケになるものはないだろうか?と思っていた頃「エンディングノート」を発見しました。

このノートを活用して元気な時にしっかりと話をし、万が一の時が起こったときに私のような「後悔」の気持ちになってしまう人を少しでも減らせることができるように。

そのような想いから今の協会の前身の任意団体としてのエンディングノート普及協会を立ち上げ、活動を開始を始めることになりました。

本人・家族の気持ちを伝える大切さ

パネルディスカッションの話に戻りますが、それぞれの自己紹介が終わると参加者の方からの質問に答えていく時間になりました。

その中で、

家族としては医療従事者の方々の事をどう思ってるいるのか

ということについて

「大変お世話になってるので申し訳ないな」

「迷惑がかかることはしたくないな」

という気持ちを医療従事者の方に対しては家族はもっていますよ

と私自身は思っていたということはお伝えいたしました。

また家族が望んでいることとしてその時に言えなかったのですが、

「家族としてはできる限り本人と病気になる前の普通の生活を送りたい

ということを思っているということ。

なにも特別なことを施設の方にお願いしたい、またはするつもりも家族としてはないのです。

生活する環境が家から病院に変わるぐらいで、普段送ってきた生活を送りたいと思っているのが家族側の想いです。

本人がやりたいことを施設や病院でできるかできないか判断していただき、もしできるのであればさせていただく。

ただこれだけでも家族の気持ちは和らぎます。

例えばですが、私が父親の看病をしている中で医師や看護師さんに非常に感謝している出来事がありました。それは父親が

「レオ(飼っているラブラドールレトリバー)に会いたいな」

と言っていたのできっと難しいだろうなと思いながらも、担当してもらっている看護師さんに話をしてみました。

なぜ難しいだろうなと思ったと言いますと、父親がその時は車いすにも乗れないベッドで寝ている状態だったからです。

しかし、担当の看護師さんがその時に、

「病院の夜間と救急の入り口に連れてきてもらったらそこまでベッドで移動しますよ。ぜひ連れてきてください」

と言ってくださったのでした。

レオと父親の対面は、時間にしてだいたい10分もないぐらいだったでしょうか。

それでも、父親がレオと接してるあの笑顔の姿は、今でも忘れられなくらい鮮明に覚えています。

その時にもし連れてくることが難しいとわかったら、写真を撮って見せてあげるといったこともしたでしょうがその「できるのかできないのか」の判断をすぐ伝えていただき、行動に移せたことはとてもよかったなと思っています。

ですから医療従事者の方には

「何か特別なことをしてあげなければ、というような力を入れず、笑顔で毎日接していただくだけで大丈夫です」

「万が一本人の要望を聞いて可能であればやりましょう家族に対して言ってくださいね」

ということを私自身の経験から伝えておきます。

どのように最期を迎えるのか

今回「看取り」をテーマとした講演会を開催した中で、本人、家族、医療従事者という、この3方向のそれぞれの意見を聞き、一緒に考え情報を共有できる環境や機会があると、お互いにわからない事などが直接聞けてそれが今後の改善に向けていい方向になっていくのではないかと感じました。

今後も協会として、医療従事者の方、本人、ご家族の方、この三者のトライアングルを「良いトライアングル」になるよう、私たちの協会がHUBとなって機会を作って行きたいと思っております。

「看取り」は、家で家族に囲まれて人生の最期・臨死期を迎えるスタイルから様変わりしてきました。

高度経済成長とともに病院で最期を迎える方が9割以上になっていましたが、最近では自宅で最期を迎える方、施設で最期を迎える方など、様々なケースがあります。

これからの看取りは、今まで以上に様々なケースが予想され、これまで医療機関に頼りきっていた家族や身内も「どのように最期を迎えるのか」を考えなければなりません。

そのような出来事がご自身の起こった時に気軽に相談できる場所であったり、勉強会であったり知識をいれておく必要があると思います。

今回参加できなかった方も次回はぜひ参加してみてください。

※この講演会は公益財団法人在宅医療助成勇美記念財団の助成事業です。

著者:赤川 なおみ

病院からの呼び出しには誰がどう対応する?

広島・福山・関西を中心にエンディングノートの書き方や終活情報のお話しをさせていただいております、エンディングノートナビゲーターで講師の赤川 なおみです。

計画的に入院の場合は別ですが、突然入院となった場合は家族はあれこれ大変です。

ちょっとおかしいので病院へ…と、夜中の救急外来を訪ねたら、そのまま入院になった私。
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これまで義父や義母が入院する際には、私が全て対応していたので、入院するとなにがあるのかわからなかった夫は、普通に仕事へ。(死ぬほどのことで入院してなかったのもあると思いますが)
私にしても入院した時には、痛みははあるものの意識はわりとはっきりしていましたから「まぁ病院から指示があればでいいや」くらいに考えていました。
が…
朝になるなり「家族はいつ来られますか?」と何度も聞かれる。
しばらくはその意味がわからなかったので「まぁ昼過ぎには娘がくるんじゃないかと…」と曖昧な返事。
するとまた別の看護師さんが「いつこられらます?」と聞く。
そう言えば、入院した本人が判断能力があったとしても、入院手続きは原則本人だけではできないんですよね。
身元引受人が必要なんですね。
そして身の回りの物の準備、これからの治療計画…全て家族や身元引受人に説明しないといけないわけです。
「不自由だけど、まぁみんなも忙しいからとりあえず寝てればいいか」なんていうのは病院には通じず、とにかく来い!(言い方が悪いですが)というのが病院の言い分。
確かに、入院してもトラブルになる方がいないわけではなく、大勢の方の命を預かる病院では、まぁ後で…という訳にはいかないんですね。
それでも、突然呼び出される方としては、仕事や身の回りの段取りもあるし、大変です。
このような時も「まずは誰が対応できるか?」「まず必要なものは何か?」などを普段から話題にしておくといいですね。
災害の備えと同じ!
もしもの時の備えは、普段の生活の中で話題にする!
少し心がけてみませんか?
もしも身元引受人や頼れる人がいないとお困りの場合は、お気軽にご相談を

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著者:赤川 なおみ

病人は作られる

広島・福山・関西を中心にエンディングノートの書き方や終活情報のお話しをさせていただいております、エンディングノートナビゲーターで講師の赤川 なおみです。
白いベッドの上でパジャマを着て一日を過ごす。
もちろん、病院では当たり前のこと。
しかし、この状態が続くと、嫌でも病人らしくなるのだと実感する。
入院する人の大半が「○月○日に手術をするので○日に入院しましょう」と、日を決められて入院しておられますね。
なので、入院をする時はもちろん自分で歩き、見た目には健康?な状態の方も多いのです。
しかし、パジャマに着替え、検査を受け、ベッドの上で過ごす時間が増える。
そうすると、気持ちはすっかり「病人」。
これって、色々なことがあるんでしょうけど、大きな原因はパジャマで一日を過ごすということではないのか?と思うのです。
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特に高齢の方の変わりようは驚くばかりで、本当に気弱になってしまいます。
これらを考えると、やはり高齢になったらなるべく病院ではなく、自宅や施設などで生活できることが望ましい。
病院にいることが多くなればなるほど、どんどん弱っていく。
転倒や感染症など、危険はたくさんあるのですが、できる限り病院のお世話にならない工夫、してあげたいですね。
エンディングノートの書き方や終活情報は毎週火曜日発行のメルマガから

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著者:赤川 なおみ

信頼関係を築くには?

こんにちは。
最期まで自分らしく生きる!をナビゲートする終活案内人のおとちゃんです。

みなんさんかかりつけの病院はありますか?
主治医の先生とは良い関係を築けていますか?

私が子どもの頃などは、病院の先生の言うことは絶対でしたが、今ではセカンドオピニオンを設けている病院も多くなりましたよね。

患者が自分の意思で病院や医師を選び、納得のいく治療を受けることができるようになってきましたが、人間同士ですから合う合わないがあるのは当然。

友人が身内の看病を通して病院との付き合い方を話してくれました。

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祖父が入院した病院、父親が入院した病院を見てきた中で思う事は、病院との付き合い方は患者や患者の家族でしっかり決めることが大切だなということ。

がんと診断された祖父、父の看病を始めた頃は
「親身に対応してくれたのは手術するまで」
「数年後通院すると主治医がコロコロ変わっている」

特に父親の病院の時には強く感じました。

父自身も手術をしてくれた主治医がいなくなってからは、
同じようなことを感じたみたいでした。

ある日「手術をしてくれた先生がいる病院に転院したい」といった父が言い出しました。
最初は戸惑いましたが、入院している本人の意思を尊重したいと思いました。

まずは転院できるように先に転院先の病院にいき先生に事情を説明。了解を得て父親を転院させました。

父親もその先生のほうが信頼できるみたいで安心してるようでした。

どう病院とつき合っていくかは、その人の意志をしっかりと伝えることができ、
そのことを病院側が対応してもらえるかどうかで変わってくると思います。

やはり治療をする際には、先生との信頼関係を築けるかどうかで、病気の回復がちがってきたり、辛さが軽減されたりすると思うのです。

ここで「よくしてもらってるのに悪い」とか「どんな風に思われるだろう」など医師に対する遠慮から、患者さん自身が我慢してしまうのが一番辛いかもしれません。

父は最終的には祖父と同じ家の近所の病院に転院することができたのですが、その中で主治医の先生以外にも他の先生と話ができたり、最後の病院とはいい関係が築けたと思います。

大切な命を預ける病院との関係。患者や患者の家族の意志を尊重してくれる病院を探し、納得いく環境をつくることをオススメします。

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病院、医師との付き合い方は他の方とも話しになることが多いのですが、みなさんはしっかりと話ができ、信頼できる病院、主治医の先生をみつけていますか??

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